Neva Eva

触らぬ神に祟りなし
 宮廷を歩いてると、好むとも好まざるとも、顔見知りと行き会うのが日常だ。
 そもそも宮廷なんていう閉鎖空間、入れる人間も限られてんだから、そこにいる人間は大体において『顔見知り』だ。

 さて、そんな『顔見知り』の一人、イーグラード卿と。
 同僚の一人、ヴァリニス将軍が、ばったりと行き会っているのを目撃した。

 ちなみに両者の相性は最悪の部類だと言ってもいい。
 うっわ、タイミング悪ぅ……、とリトゥナに同情したのも束の間、次の瞬間にはざぁっと遠目にも判るほどに顔色を変化させたイーグラードが、踵を返して廊下を脱兎の如く駆けて行くのが見えた。

 …………あ?
 もしかして、同情しなきゃならんのってイーグラードの方だったか?






「……おい、何だありゃ」

 軽く肩を竦めながらイーグラードの後姿を見送ってた奴に声を掛ければ、「イーグラード家の御当主様だな」という、何とも人を食った答えが返って来た。……なめてんのか、オイ。

「な・ん・で、そのイーグラード家の御当主様が、お前のツラ見て逃げに走るわけよ?」
「さぁ……? 持病の癪じゃないのか?」
「……ほほぅ」

 真面目なツラして何抜かす。

 リトゥナを、『ヴァリニス』の名に助けられてる運頼みの将軍、なんて嘲笑ってる奴らをこそ、俺は鼻で笑ってやりたい。こいつがそんな可愛らしいタマであるものか。
 とりあえず、ひとつ確信。

「お前、何かやったろ」
「そこはせめて疑問形で訊いてくれないか」
「……マジで何かやっただろ、お前」

 抗議の声は無視して重ねて問えば、にこりと笑みを返された。
 それはよく見る苦笑めいた笑みではなく、笑ってんのに何か怖ぇと奴の部下達が称す表情でもなく、ただ単純に笑った、という形の笑み。それがきちんと『笑顔』と言える表情だったことに軽く驚く。何だ、普通に笑えんのか、こいつ。
 ……つうか、お前、さっきから何かはぐらかそうとしてねぇか?

「私は特に何もしていないと思うが……」
「……つまり、お前以外の人間が何かやったって?」
「察しが良くて助かる」

 にこり、とまた笑顔を向けられた。
 ……だから…………お前のその緩みきった表情とか、何よそれ。どこの別人。


 リトゥナ・ヴァリニスという人間は。
 人間味がないというわけではないが、どちらかというと表情の変化に乏しい人間で。親しみやすさという点では難を挙げるしかないが、部下からは尊敬できる人物としてよく慕われている。その分、上からは煙たがられる傾向にあるみたいだがな。まぁ、その辺は俺もあんま他人のことは言えんが。

 俺と奴との関係性をひと言で表すなら、同僚というのが適切だろう。誰よりも適当に生きていると自覚する俺だが、真面目で品行方正を地で行くようなリトゥナとは何故か気が合った。
 逆に、気に喰わん人間と言えば、さっき逃げてったイーグラードの奴みたいなのだけどな。

 一見華やかに見える宮廷も、裏に回れば結構どろどろしたモンである。
 男だとか女だとか、地位も性別何も関係なく、権力をその手に握ろうとあくせく動くので忙しい奴らというものは必ずいるモンだ。つか、その努力は他へ回せ。
 俺もリトゥナも権力なんぞにあまり興味はないが(いや、あればあったで便利だけどな、権力)、興味があろうとなかろうと、ある程度以上の地位に就いてれば否応なく争いごとに巻き込まれるってんだから酷い話だ。

 イーグラードは、そんな風に権力に執着するタイプの人間だった。まぁ、王国屈指の名家ではあるんだけどな。当代サマは言っちゃ何だがそう優秀なタチではなかったようで、将軍の地位には現在のところ就いていない。
 いい加減なの通り越して、ちゃらんぽらんとまで称されたことのある俺にさえ負けたってんだから相当だぞ? どんだけ使えねぇ人間だったんだっての。

 イーグラードは権力が好きで、判りやすくぶっちゃけるなら将軍の位を欲しがってた。
 で、自分より若いのに将軍位に就いてるリトゥナを苦々しく思って、事あるごとに絡んでたのを知ってる。俺もリトゥナと一緒で、立場的には妬まれてもおかしくはなかったんだが、そうならなかったのは単純に奴の家より俺の家の方が上だったからだ。何がって、ランクが。判りやすく格式と財力。実家的権力万歳。

 まぁ、話は逸れたが。
 リトゥナとイーグラードの折り合いは、傍から見て判るぐらいにそりゃもう悪く。それでも一応、リトゥナの奴がイーグラードの野郎を立てて表立っては反抗せずに、ネチネチとした嫌味攻撃なんぞを適当にのらりくらりかわしてたのが宮廷での日常だったんだが…………アレか? リトゥナの奴、とうとうキレたのか?
 めっちゃくちゃ怯えてたぞ、イーグラードの奴。自分が何かやったわけじゃねぇっつってるけど……軽く嘘だろ、それ。ぜってぇ何かやったろ。

 傍で見てて、何で判んないのかねぇ……、と不思議でしょうがない。リトゥナは、決して組しやすい奴じゃねぇ。黙って耐えるとこは耐えてっから、侮る奴もいるんだろうが、こいつはそんな甘い奴じゃねぇぞ? むしろ報復はキッチリするタイプだ。しかも完全犯罪気味に。
 どれだけ宮中で陰謀が渦巻こうが、コイツはしれっと割と平気なツラして生き残っちまうタイプなんじゃねぇかと思ってる。
 以前、面と向かってそう言ったら、その台詞はそっくりそのままお返しするよ、と涼しいツラで言われた。可愛くねぇことこの上ない。

「キーツ・ディブラン将軍」
「あんだよ?」

 つらつら色々考えてたら、不意に名前を呼ばれた。
 ……つうか、わざわざフルネーム呼んでくるとか、何。何の嫌がらせだ。眉を寄せながら視線をやれば、本当に珍しくも穏やかに笑むリトゥナと目が合った。

 …………正直に言おう。逆に怖い。マジでどーした、お前。

「リトゥナ、お前、休暇中何があった?」
「まぁ、いろいろあったな」
「……その『いろいろ』の中身を聞きてぇんだが。俺は」
「そのうちな。お前にも会わせる」
「…………」

 何か微妙に会話がすれ違ってんぞ。今は答える気はないってか。ああそうかい。
 笑みを浮かべるリトゥナは、俺が見ても判るぐらいに機嫌が良かった。その事実にびっくりするわ。何こいつ。こんな判り易い奴じゃなかっただろうに。

 珍しい、ってか、前代未聞ってぐれぇに判り易い笑みを浮かべたまま、リトゥナはゆっくりと口を開いた。
 曰く、

「ひとつ、朗報を伝えておこう」
「あん?」

 朗報? と首を傾げた俺に、頷きをひとつ。

「イーグラード卿が、職を辞して領地に引きこもられるそうだ。これからは滅多に宮中で会うこともなくなるのではないかと」
「あぁ!?」

 へーそりゃ確かに朗報だっつかちょっと待てえぇっ!?

「おま、それ……っ」
「いい知らせだろう?」

 そりゃ良い悪いで言ったら圧倒的に俺らにとっちゃ良いことだとは思うがだから待てえぇぇっ!?

「…………お前、本っ気で何やらかしたよ……?」

 訊いてはいるが、もはやその答え自体はあんま聞きたくねぇ気がする。
 結局のところ、「人聞きの悪いことを言わないでくれないか」とかどうとか言われた挙句、にこりとした笑顔に誤魔化された。何あの新技。どこの境地に辿り着いたのお前。


 ……イーグラードの奴が何をやったんだかは知らんが。

 とりあえず、今後奴を怒らせるのはやめよう。
 心の中で、そう誓った。

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