Neva Eva

Pleasing memories
「……あ。うわ、コレ懐かしー……」

 ヴァリニス家の団欒の間とでも言うべき部屋、そこで本棚の整理をしてたら、不意にラズがそんな声を上げた。

 あ、ちなみにねー、この本棚の整理、別に自主的にやってるってワケじゃない。ついさっき上の棚の本を引き出そうとして、何故だか目的の本以外全部といった大量の本を崩落させたラズを手伝って、片付けついでに整理もしてるものだったりする。
 ホント、期待を裏切らないよねー、俺の御主人様は。分厚い本の背表紙、しかも角の部分を脳天にくらって涙目になってた辺り、特に。即席氷枕役、しっかり務めさせて頂きましたともー。

 いや、まぁ、それはともかくとして、だ。何が懐かしいって……?
 振り返った先、ラズは色褪せてボロボロになった一冊の本を手にしていた。

「何だ? …………絵本?」

 同じようにラズの声に振り返った弟くんが、ラズの手の中にあるものを見て怪訝そうな声でそう呟いた。
 ちなみに弟くんはタイミング悪く本の崩落現場に居合わせてしまったため、問答無用でお手伝いに参加させてみました。何というか、ご愁傷様?

「うん、そう。昔リト兄に買って貰ったヤツ」
「父上に?」

 二人の会話を聞きながら、興味を引かれて俺もラズの手元をまじまじと見やる。
 ラズが手にしてるのは、確かに絵本。言ったら絶対に怒るけど、淡い色彩のファンシーな表紙が何か妙にラズに似合ってて笑える。

 リトゥナが買ったもの、ってことは、そりゃまた随分と古いなー。でも、色褪せてボロボロにはなってるものの、十分まだ読めそう…………っていうか、あれ?
 ……うん? 何だかものすごくあの表紙に見覚えがあるような?

 記憶は、一瞬で甦ってきた。

「ぶっ……あはははは! 俺ソレ覚えてるー。すんごい覚えてるー。あはっ……確かにそれは懐かしいねー。あはははは!」
「え、何でセレはそこで大爆笑?」

 唐突に笑い出した俺を見て、ラズがきょとんと瞳を瞬かせた。
 いや、だって……これはちょっと笑うとこでしょー。ラズは覚えてないのかな……?

「………………」
「で、何でフィルはそこで微妙なカオになってんの」

 傍目には不機嫌全開にしか見えないフィルを掴まえて、それを訊けるラズはすごい。
 慣れれば結構判りやすいんだけどね、フィルの表情の変化って。うん、確かに今は微妙なカオしてるねー。俺は睨まれてるけど。

「あー、これねぇ……」
「―――― セレ」

 低い声が、牽制するように俺を呼んだ。あーらら、ちょっと怒っていらっしゃる。
 でもね、他の人間に対してならまだしも、俺相手じゃ何の威力もないからね? それ。

「あははー、そーんな怖い声出さなくても、微笑ましい昔話でしょー?」
「………………」

 ね? と首を傾げれば、すっと瞳を細めた状態で視線を返された。うん、だからそれ、俺は怖くないんだって。効果皆無だよ?
 そのまま、数秒。

「あ、フィルがそっぽ向いた」

 ラズがさっくりとフィルが取った行動を口にする。
 微妙な表情をしたままふいっと視線を逸らしたフィルを、ラズが不思議そうに見やった。

「……で、結局何なんだ?」

 それまで黙って俺たちのやり取りを見てた弟くんが、眉を顰めてそう訊いた。
 うん? 何、と言われても、別にたいしたことじゃないんだよねー。あれだけ笑っておいて何だけどさ。
 俺はラズが手にした絵本を指差しながら口を開いた。

「それねぇ、昔フィルがラズによく読んでやってた絵本なんだよねー」

 うん、間違いない。淡い色彩の可愛らしい絵本。あれラズのお気に入りだったんだよねー。
 その絵本を両手で抱えてぽてぽてと歩いてたラズの姿を覚えてる。そして、そのラズが向かう先は、必ずと言っていい程にフィルのところだった。

「………………え?」

 俺の言葉に、ものすごい何とも言えない表情で弟くんが固まった。その反応は判らなくもない。自分の想像力に拒否反応起こしてるね、アレは。
 弟くんとは違い、ごく単純に疑問だけを覚えたらしいラズがきょとんと首を傾げる。

「フィルが?」
「そう。ちっちゃいラズに『ごほんよんで~』ってせがまれて、思いっきり困惑するフィルはなかなかに見物だったよー?」

 いやもうホント、冗談抜きで。最初見た時は爆笑させて頂きましたともー。隣で同じ光景見てたリトゥナは硬直してたけどね。

「あー……。そう、だった……っけ?」

 自分の記憶を探るような表情で、ラズが視線を天井へと向けた。うーん…、と唸る声。
 覚えてないかな? まぁ、ホントにちっちゃい頃だったしねー。でも結構な回数、フィルにその絵本読んで貰ってたと思うけど。

 ラズにひと言断ってから絵本を貸して貰った。ぱらりとページを捲ってみる。……あぁ、ホント、懐かしいなー。

「ちなみにね、フィルが絵本を読む様は、いっそ怪談のようだったよ」
「怪談て、お前……」
「だぁってアレだよ? フィルがあくまでも無表情に淡々と可愛らしい内容の絵本を読むんだよー?」
「事細かに話すなやめろ夢に出る!」

 耳を塞いだ弟くんが絶叫した。
 あっはっは、今想像したね? しちゃったね? ばっちりしっかりとその光景を思い浮かべたね?
 頭を抱えた弟くんをよそに、ラズはうーん……? と再び首を傾げた。

「あー……、何か微妙に覚えがあるような? ……って、フィル、何でそこでまた更に微妙なカオになる!? ていうか落ち込んでる!?」

 何で!? と慌ててラズがフィルに駆け寄った。
 あ、ホントにちょっと落ち込んだカオになってるねー。遊びすぎたか。ごめんね? フィル。
 うーん、でもさぁ……、

「別に、気にすることでもないと思うんだけどねー?」

 手にした絵本のページをまたぱらりと捲りながら、俺は微笑った。


 色褪せた絵本。
 だけど、記憶の中の光景は色褪せることもなく。

 淡々とした、フィルの声。
 フィルの膝の上で、赤い瞳をきらきらと輝かせながらそれを聴いていた子供。

「―――― 間違いなく、ちっちゃいラズは喜んでたんだからさ」

 懐かしいその光景を思い出しながら、パタン、と手にしていた絵本を閉じた。

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