Neva Eva

英雄の欠片 09
 時間だ、と言われて、オレは瞳を開ける。
 椅子に座って俯いてたから、最初に目に入ったのは深い赤色の絨毯だった。即座に高そう……と思ってしまった思考は、えいやっと彼方へ放り投げておく。考えない、考えないよ。第一、絨毯に驚いてたんじゃ、この先オレ王城の中なんて歩けなくなっちゃうし! 主に何か壊したり汚したりしそうな恐怖が原因で。すごく真面目な話ですこれ。

 顔を上げたら、光が目に眩しかった。今日も外はいい天気らしい。
 雨が降らなくて良かったなー、とか、そんなことを考えながら立ち上がったところで。

 ―――― ズダンッ!

 式典用の服の裾を踏んで、見事にすっ転びました。

「……うん。実に不安の残る第一歩をありがとう、ラズ」

 どういたしましてっ!





 初っ端に転んだら、後は結構怖いモノがなくなりました。結果オーライ。幸先絶好調。
 ……開き直ったら、人間楽になれます。

 とりあえず、これ以上転ぶのは避けたいところです。だってこの衣装も絶対高い。汚せない。

「緊張してるー? ラズ」

 隣でクスクスと笑いながらセレが訊いてきた。
 今日は久々にフィルもセレも“晶石”から出てきてる。その上、何だか今日はいつもより随分とカッチリした恰好してるもんだから、まったくもって目が慣れない。

 えーっと、何て言うんだろ? リト兄とかが仕事で着てる服に作りは近いみたいだけど、それよりも確実に装飾品とか多いよね、っていう恰好。文句なく似合ってるから、そのまま着ててくれて一向に構わないんだけど。
 つか、その服どしたの? と訊いたオレに、今日一日はずっとこれを着ていろとゼルティアスに渡された、と憮然としたフィルの声が返って来た。ちなみにこの上なくイイ笑顔してたよ、とはセレの言だ。そんな情報はいらない。んでもって、ああ、ありそうだ……とか、即座に想像がついちゃったじーちゃんの人間性がどうなんだ。
 …………いやいやいやいや、今はそんな考え事してる場合じゃなくて、えーっと……何だっけ? 緊張……?

「緊張……はしてない、かな?」

 うん、まったくもって緊張はしてないね、オレ。だってさ、何というか、こう……、

「実感が湧いてこない」

 ええ、恐ろしいことに。この期に及んでまだ何も。
 オレの返答に、フィルが僅かに眉を寄せた。

「致命的だな」
「オレもそう思うー」
「まぁ、ガッチガチに緊張されるよりはマシだと思えばー」
「というか、歩くのに一生懸命で、そっちまで思考が回んない」
「オッケー。歩く方に集中してなさい。喋らなくてもいいから」

 セレがさくっと言い切った。
 続けて、「まぁ、それでこそラズ」とかワケの判んないことを言われた気もするけど、今は気にしないことにします。歩くのに集中! 望むところだ!

 よし、と一歩踏み出した足が、また見事に裾を踏ん付けたけど、転ぶ前にフィルがオレの首根っこをぎゅむっと掴んで事無きを得た。……ちょっとオレは本気で注意力というものを養った方がいい。運動神経は養えないから、せめて注意力。
 と、いうワケで。

「ごめんなさいすみません! 言いたいことは嫌って程判ってる! ホント気を付けて歩きますごめんなさい! あと助けてくれてありがとう!」

 目の前で仏頂面になってるフィルに、ひと息でそう告げた。
 ……いや、真面目に気を付けるってば。







 式典当日。

 “魔術師の王”のための式典……とは言っても、オレの出番は途中からなんだそうだ。
 数日前に下見した露台、あの場所で戴冠式めいたことをして貰う。それが式典の進行上で、一番最初に皆の前でオレが姿を見せる場面らしい。時間的にはお昼ちょっと前辺りで、それまでの時間は結構のんびり出来る。朝から晩までガッチリ拘束されるのかと思ってたから、最初にそれを聞いた時にはちょっと拍子抜けしたものだけど。

「君の拘束時間長くしたところで、ボロが出て式典そのものがメチャクチャになる危険性しか出てこないからね。単なる自己防衛策だよ」
「…………いつもと変わらぬ暴言をどうもありがとう」

 絶好調だな、セファ!
 そして初っ端にすっ転んだオレに、反論要素など何ひとつないに等しいです。オレもある意味で絶好調だよ。知ってるよ!

 顔を合わせるなり、いつも通りの歯に衣着せない発言でモノゴトの裏側をさっくり説明してのけたセファは、学院の正装服を纏ったいつもよりも何割か増しできらきらしい状態で、フンと鼻を鳴らしてみせた。

「とりあえずは、時間通りの到着だね」
「さすがにここに来るのを遅れたらお話になんないでしょー」
「心配しなくてもラズの運動神経と一般常識は最初からお話にならないレベルだよ。で? 手直しは必要?」
「いや、特には……。一番最初に派手に転んだが、本人に怪我もなければ、衣装の汚れ解れもない」
「そ」

 それは何より、とセファは締め括った。

 というか……いや、あの、うん。さりげなく暴言繰り出すのも、それをそのままさらっと流すのも止めて欲しいかなぁ、と!
 あれ……? とか思ってる間に、口挟むタイミングも無くしちゃったじゃん! 反論無しでオレひとりで泣いてろと!?

「街の様子はどんなー?」
「しばらく近寄りたくもないね」

 即答。
 心底嫌そうなその表情に、これは随分と街は賑やかなことになってるんだろうな、と思った。セファ、騒々しい場所も人も嫌いだから。

 数日前の街の様子を思い出す。いつも賑やかな王都だけど、いつも以上の、お祭りの時みたいな賑やかさが街の中にあった。

「一体どこから湧いてでるんだか、ってぐらいに見事に人の波。それが今大挙して王城の近くに押しかけて来てる、っていうんだからうんざりするね」
「ほへ? 王城に?」

 何かあんの? と聞いたら、問答無用でデコピンをかまされた。痛いなんてモノじゃない。

「っだー!? イキナリ何する……っ!」
「この期に及んで君があまりにもボケた発言するからだよ。あー、もう、何が楽しくてコレ見るためにやって来る人間がいるんだか」
「王城の庭園は、主に上流階級の人たちで埋まっちゃうしねぇ。ラズをひと目見たい、って人間で、城壁の向こう側とかちょっとすごいことになってそうー」
「もうなってるよ。まったく、そんな苦労して見に来るのがコレだよ、コレ。実状知ってると空しくてしょうがないね」
「ちょっとォッ!?」

 ズビシッと遠慮なく人を指差してホントに言いたい放題だな! え、何これ。オレ何でこうまで好き放題言われてんの!?
 さすがに黙ってられなくなって声を上げたけど、セファはどこ吹く風、ってカンジでオレを見やって、何か嫌そうにため息を吐いた。だから何だその反応! 何でため息! 泣くよ!?

「……おい、時間はいいのか?」

 オレたちのやり取りを、呆れたように見やっていたフィルが訊いた。
 え、あ、時間?

「ああ……今は、ちょうど皇太子だか狸だかが口上述べてる辺りだね。コレの出番まで、あと少しってところ?」
「ええっ!?」

 何かまたコレって言われた! とか、皇太子殿下さえ敬ってないよセファ……とか、じーちゃんは狸で固定ですか、とかツッコミたいことは多々あったけどとりあえずっ!
 い、今何かさらっと重要なこと言わなかったっ!? 出番まであとちょっと、って……、

「え、ちょ、それ急がなきゃなんないんじゃ……!?」

 こんなところで話してる場合でもないというか……!
 え、だ……だって、あんまり詳しく道順覚えてるワケじゃないけど、ここからあの露台までってまだ結構遠かったような気がするんだけど! え、アレ、気のせいじゃないよね!? これ!

「ど、どうしようっ!?」
「いや、どうしようも何も……」
「遅刻はシャレにならないよねっ!?」

 さすがに本気でオレも焦る。
 だって、待たせてるのレガートさんだよ!? 皇太子殿下だよ! ついでにじーちゃんも待たせてるんだよ!? そのメンバーが既にシャレになってないっ……!

 でも、アレです。急がなきゃならないのは山々なんだけど、この場合急いだ方がより時間が掛かりそうなオレ仕様。
 だって転ぶ。間違いなく転ぶ。こんなひらひらびらびらした服着て走って転ばなかったらオレじゃない。それもう違う人だ。

 こうなったら恥を捨てて誰かに抱えて走って貰うか!? と、半ば本気でそんなことを考えてたオレの後頭部にぺしっと軽い衝撃が走った。どうやらセレに叩かれたらしい。

「いいから少し落ち着きなってー、ラズ」
「無ー理ー! セレ、背中貸して! おんぶして! この際姫抱きでも俵担ぎでも文句は言わないからーっ!」
「わー、何それ面白そう。実行に移したくなるんだけどー」
「……セレ。お前も馬鹿なことを言い出すな」
「まったくだよ」

 セファが呆れたように肩を竦めた。

「ちゃんと間に合うようにこっちだって時間計ってるんだから。今更君が慌ててどうするのさ?」
「いやいやいやいや! だって絶対間に合わないよ!? 今からあそこまでオレにこの恰好で急いで行けとか、無理無理無理っ!」
「ああ、うん。君の壊滅的運動神経じゃ、それが難しいことぐらい僕も知ってるよ」

 すっぱりあっさりと更にセファが言い切る。隣でセレがだよね、と同意を返して、更にはフィルがひとつ大きく頷いた。
 ……自分で判っててもね! 他人にどうこう言われると普通にヘコむんだよね! オレに対する理解が嬉しくないよ!

 うぐっと黙ったオレを見て、セファはフンと鼻を鳴らした。

「知ってるよ。普通なら、もう間に合わない」

 アイスブルーの瞳が、僅かに細められる。そして、とても珍しいことに、セファはそのまま唇の端を持ち上げてゆるやかに微笑ってみせた。

「だけど、君にはまだ、あそこに辿り着く術があるでしょ?」

 そのために、わざわざ下見になんて行かせたんだから、という声。
 ……あれ?  それって、もしかして……。

「空間、渡れってこと……?」

 つまり、そう言ってる?
 首を傾げて問い掛けたオレに、セファは軽く頷いた。

「そ。君、一度行った場所なら飛べるでしょ」
「いや、うん。飛べるっていうか、『扉』は開ける、けど……」

 一度行った場所、というより、はっきりとイメージできる場所なら空間を繋ぐことができる。
 今オレのいる場所と、遠くの別の場所とをドアで繋げて、それをくぐるカンジとでもいうのか……うーん、言葉じゃ説明し辛いけど。

 イメージは、できる。
 立派な造りの、大きな階段。開けたその先に、あった場所。

「だったら、今それ実践してくれる? ―――― ちょうどいい頃合いだし」
「オッケー。時間だね」
「了解した」

 オレの代わりに、二人がとっとと了承の意を返した。

 ……って、ちょっとおおぉっ!? マジでやるのっ!? オレ大分長いこと空間転移の魔法とか使ってないんですけどっ!?
 慌てて喰って掛かったら、お前を普通に歩かせて転ぶ確率の方が魔法が失敗する確率よりも限りなく高いからな、としれっとフィルに返された。つまり露台に辿り着くのに、より確実性のある方法を取っただけだと。
 ……あれ、何か微妙に泣きたくなってきた。いや、泣かないけど。泣かないけどねっ!? でも予告ぐらいは欲しかったよ! 何このぶっつけ本番具合。
 早くしなよ、と遠慮なくセファに急かされて、オレはううう……と唸りながら瞳を閉じた。


 イメージは、できる。

 辿り着きたい、その場所。
 階段の、先。細かい装飾の施された、大きな窓の向こう側。

 青空が、広がってた。真昼の陽射しが眩しかった。
 庭園に向かって、大きく張り出した露台。ぐるりと周囲を取り囲んでたのは、丁寧な細工の、白い綺麗な手すり。
 遠くの方に小さく見えた、王都の街並み。

 ―――― 光射す、その場所。

 イメージは、掴んでる。


『揺らせ、揺らせ、曖昧なる境界。混沌の雑じり合うその先、汝の示す彼の地へと我を導け。―――― 開け、天扉<アマト>』


 浮かんできた呪文<スペル>を口にして、一度瞳を開けた。

 ぐるり、と周囲で風が渦を巻く。
 直後、ぐにゃりと、目の前の光景が歪んだのが見て取れた。

 水面に映った景色が、広がった波紋にゆらゆらと形を変えるような。ゆっくりと、ゆっくりと周囲の色彩が塗り換わっていく。

 くすくすと笑う精霊の声が耳に届いた。
 どこに行きたいの? と声が問う。

 うん、ちょっと手伝ってくれると嬉しい。
 あの露台に行きたいんだ、と心の中で告げて、オレは再び瞳を閉じた。


 イメージは、ちゃんと掴んでる。
 あとはそれを、形にするだけ。

 歪んだ景色が、またゆらゆらと元に戻り始めた。広がった波紋が、ゆっくりと収まってくみたいに。

 だけど、形を取り戻した『それ』は、前とまったく同じ物でもない。

 空気の色が、変わった。
 頬を撫でる風と、鮮やかな光の色。

 そんなものを感じて、オレはゆっくりと瞳を開ける。


 最初に見えたのは、青い空だった。
 軽く周囲を見渡せば、イメージしたそれと寸分変わらない光景がそこにあった。

 それから、正装服を着たじーちゃんと、同じく正装服を着て昨日よりも更にきらきらしさを増してるレガートさんの姿も。

 あ、良かった成功したんだ、と内心でほっと安堵の息を吐いた瞬間。


 ―――― わあああぁっ!


 びっくりするぐらい大きな歓声が、オレの耳を貫いた。

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