Neva Eva

quiet talk 06
『まぁ、前にも思っとったんじゃが、老けたの』

 久しぶり、とも、元気だったか、とも。
 その辺りの通常儀礼的な挨拶を全部すっ飛ばして、鏡の中の相手は暴言としか取れない発言を繰り出した。

 変わってないというか、何というか、まぁ、

「お前に言われとうない」

 同い年のジジイに老けたとか、本気で言われとうないわい。

「……おれは、どっちもどっちだと思うー」

 背後から聴こえた声に振り返れば、孫が呆れたような表情で戸口から顔を覗かせていた。呆れたような、というか、心底存分に呆れておるなアレは。

『なんじゃ、お前の孫か?』
「ああ、マシロという」
『ほう……。成程、よう似ておるな。道理でお前も老けるはずじゃの』
「待て。話の前後が繋がっとらんわ、阿呆」

 しかもまだ言うか。まだ言うのか。
 鏡の向こう側で笑腐れ縁の友人に呆れた眼差しを送っていたら、いつの間にか近付いて来ていたマシロがよいしょと背伸びをして鏡を覗き込んだ。

「何これ、じーちゃん。これも魔法?」
「ああ。遠くの人間と話が出来るようにな。一時的に音声と映像を繋げておる」

 さすがに空間ごと繋げるような、そんな高度な魔法は使えんがな。……そんな高度な魔法を、使おうと思えばまるで呼吸するかのように容易く使う魔法使いもいるにはいるが、まぁそれはさて置き。
 初めましてー、と鏡の向こう側に挨拶するマシロの頭にポンと手を乗せた。

「マシロ、お前、何か用があったんじゃないのか?」
「あ、そだ。夕飯の用意できたー、って呼びに来たんだ、おれ」

 おお、とマイペースに呟きながらポン、と手を叩く孫に、ため息をひとつ。「紛れもなくお前の孫じゃの」という声は意図的に無視してやった。うるさいわ。

「先に行っておれ。後で行く。何なら食べておっても構わんぞ」
「判ったー。でも早く来てね? セネトの馬鹿と二人っきりでごはんとか、無事で済む保証があんまないからー」
「…………ああ」

 普通の受け答えとまったく同じ調子で、結構すごいことを言いおるの……。しかもその場合、無事に済まないのはマシロではなくセネトの方じゃな。基本がヘタレなあの馬鹿弟子は、口の達者な孫に普通に言い負かされる。

『……本気で間違いなくお前の孫じゃな』
「うるさい。黙っとれ」

 ぱたぱたと部屋を後にするマシロの姿を見送って、ゼルティアスが妙にしみじみとした口調で言った。真剣に余計な世話じゃ。

「お前、わざわざそんな無駄話をするために鏡を繋げたわけでもあるまい?」
『当たり前じゃ。何故わざわざお前にそんな労力を使わにゃならん』

 清々しいぐらいに言い切ってくれたのはいいが…………微妙に引っ掛かる言い様じゃな、お前。素で喧嘩を売っとるとしか思えん言動は健在か。いや、今更じゃが。


『王がな、『学院』に帰って来たぞ』


 くつくつと喉の奥で笑いながら、ゼルティアスがそう告げた。その言葉に、軽く瞳を見開く。

 三十年、行方不明だった魔法使いが戻って来たのを確認したのは、つい数ヶ月前のこと。
 闇の王の“晶石”を受け取りに来た子供は、驚いたことに三十年前とまったく姿が変わっとらんかった。

 “魔術師の王”が帰還した、と。
 そう、ゼルティアスに告げたのは、子供がここを発ってからすぐのこと。
 既にどこからか報告は貰っていたのじゃろう、ゼルティアスは動じることなく、「知っておる」と言った。そのうち『学院』の方へも戻ってくるじゃろうて、とゼルティアスが言い、それに儂が同意を返したのもその時だ。

 ふと、指折り換算してみて思う。

「……思ったよりも早かったの」
『……やっぱりお前もそう思うか?』

 問い掛けには、遠慮なく頷いておいた。

「飾らずに率直に言うなら、三年ぐらい掛かると思っとったんじゃがの」
『儂もそう思うとったわ。余裕であと二年ぐらい掛かるものとばかり』

 今更じゃが、あの子供に対する儂らの認識は、いっそ清々しいぐらいに酷いものがある。
 当人がいれば、どういう意味っ!? と声を上げること間違いなしじゃが、実際問題この村から王都まで普通に行けば二~三ヶ月程度で着くという事実と、あの子供がやたらと厄介事を起こしたり引き寄せたり巻き込んだりするという事実を併せて考えれば、実に妥当な予測じゃとも思う。あの子供は、いつだって世間の常識の斜め上を行く。

『しかも、正面から普通に帰ってくれば良いものを、どうしてだかライセンス再発行手続きを取った挙句、再試験組に紛れておったからの』
「…………期待を裏切らんの」

 それは常識の斜め上どころか、思い切り範囲外と言わんか。
 鏡の向こうで、ゼルティアスがわざとらしくため息を吐いた。

『儂もなぁ……それを再試験の試験官から報告を受けた時は何事かと思うたわ』

 ちなみに、その試験官はセルテスだったわけじゃが、とさらりと付け加えられた情報に、相変わらず妙な貧乏くじを引く男じゃの、とある種の感慨を抱いた。何のことはない、他人事でしかないただの感想だ。

『さすがに耳を疑ったというかのぅ……』
「ぬけぬけとよう言うわ。実際、そこまで驚きもせんかったじゃろうに」
『ほ、見てきたように言うの』

 にやり、と人の悪い笑みを浮かべる相手を鼻で笑ってやる。何を、今更。

「確かに常識の範囲外じゃが、あの子供に関して言えば、そのくらい予測範囲内じゃろうが」

 きっぱりあっさりと言い切ってやれば、少しの間を置いて、

『……それもそうじゃの』

 これまたすっぱりとした同意が返った。
 ほれ見たことか。



 あの子供に、色々なものを背負わせてしもうたという自覚はある。

 それは、負い目に似ているのかもしれない。
 あの災害を、崩れゆく大地を、他の魔法使いがどうにか出来たとは到底思えない。そう、言い訳するは容易い。実際、半ばそういう思いで儂らはあの子供をあの場所へと送り込んだ。

 酷い有様じゃったと、思う。三十年経とうが、あの光景は忘れることなど出来ない。戦場もかくや、という情景。
 大の大人でも怯んでしまうようなその光景の中、あの子供はしゃんと背筋を伸ばして立っていた。

 ―――― 儂らは、その背中を見ていたのだ。


 “大崩壊”


 後にそう呼ばれるようになった災害が終わったその日、儂の前に姿を現したのは光の王だった。
 別段、あの時光の王は儂を探していたわけではないじゃろう。誰でも良かった、ということもなかろうが、ある程度の条件さえ満たしていれば儂でなくても良かったのだ。
 闇の王の“晶石”を預けることのできる相手であれば、誰でも。

 光の王は、ボロボロじゃった。無事だとは、到底言い難かった。
 自らが内包する力を抑える余裕などありはしないだろう彼を目の前にしても、いつぞや覚えたような畏怖も威圧も何も覚えなかった。今思えば、それほどに消耗しておった、ということじゃろう。

 光の王は、無言のまま右手を突き出した。
 その手の中にあった闇の王の石、それを儂の手に落として。

 ただ、頼む ―――― と。
 そう、口にした。

 何があったのかなど、訊ける状態ではなかった。光の王は……そうじゃな、今思えば焦っておったんじゃろう。
 あの時の儂に、その理由など知る術もなかったが、それでもこれ以上光の王を引き止めるべきではないのは判った。だから、くるりと踵を返した光の王の背に、自分が『学院』には戻らずシェルローズという村に住む予定だということと、闇の王の石は預かっておくからいつでも取りに来い、ということだけを伝えた。
 既に歩き始めていた光の王は、儂の言葉を聞いて少しだけ怪訝そうな表情で振り返った。が、儂の右肩に幾重にも巻かれた包帯と、儂の表情からおおよそのことは悟ったんじゃろう。特に何を言うこともなく小さく頷いて再び踵を返した。

 あれから、ざっと三十年。
 あの日から儂の右腕はずっと動かず、闇の王の石もずっと儂の手元にある状態のまま時は流れた。……まぁ、儂の油断もあり、闇の王の石を馬鹿弟子に持ち出されたりもしたわけじゃが。
 それとほぼ同じタイミングであの子供が帰って来たのには、さすがに運命じみたものを感じる。あの馬鹿弟子は、つくづく運がない。いや、あれだけのことをやらかして、闇の王に息の根を止められなかった辺りは運が良かったと言っていいかもしれんがの。

 帰って来た子供は、あまりにも以前と変わらず。本人の説明を聞く限り、“光の洞”でひたすらに三十年眠っておっただけのようじゃから、変わっていないのも納得と言えば納得なんじゃが。

「やれやれ……安心すれば良いのか呆れれば良いのか悩むところじゃの」

 苦笑と共にそう言葉を紡げば、鏡の中の相手もそっくり同じような表情を浮かべて頷いた。

『安堵したのも、確かなんじゃがな』

 変わらない姿に、驚いて。
 変わらない中身に、安堵して。
 変わらない言動に、呆れて。

 確かにそこにいるのだという現実に、不意にこみ上げてくるものが、あって。

 それを、何と呼べば良いのか儂にはよく判っておらんし、判らんままでも構わんと思う。結局のところ、それは些細なことでしかない。
 小さく息を落した儂を見て、ゼルティアスが笑った。

『まぁ、散々騒ぎを起こしてくれたのも事実じゃし、アレが帰還したことで、最近の儂が忙殺されておるのも事実じゃな』
「は? 忙殺?」

 そんなに忙しいのか、と問うた儂に、ゼルティアスは疲れなど微塵も感じさせない表情でにんまりと笑って言った。

『おう。お前のところにまだ報は届いておらんかの? “魔術師の王”の帰還を、『学院』から正式通達したんじゃが』
「いや、まだここまで届いておらんの」

 何と言っても、この辺りは見事な田舎に分類されておる。王都やその近辺に比べれば、物流にしろ情報にしろかなりな度合いで遅れがちだ。……というか、そんなもの出しとったんか、お前。

『で、今はそれに伴った式典準備の真っ最中じゃ』
「式典?」
『王のお披露目の場を設けようかと』
「…………あれが騒ぐ姿が目に浮かぶようじゃな」

 思わずしみじみとそう呟けば、おお実際に騒いでおったぞ、と笑い声と共にそんな言葉が返ってきた。お前な……。

『何ならお前も来るか?式典。特等席を用意しといてやるが』
「儂を巻き込むな、阿呆」

 まぁ、少しばかり面白そうかとは思うが、それ以上に何らかの騒ぎになりそうな気がするので謹んで遠慮しておく。田舎で優雅に隠居生活送っとる人間を巻き込むんじゃないわ。
 しかし、何というか……、

「素直に、あれが帰って来たことを喜んでやったらどうじゃ?」

 式典とか、そんな嫌がらせめいたものを付けんでも、と暗に仄めかしてみれば、旧友はその意図を正確に読み取り、しかしにやりと人の悪い笑みを浮かべてそれに応えてみせた。

『それじゃ儂が面白くないじゃろうが』
「さよか」

 呆れるしかない台詞を堂々と口にするゼルティアスは、ある意味今日も絶好調で ―――― 知っておったが、我が友の性格を矯正するのは不可能だと再認識するに至った。

 本気で今更じゃが、の。

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