Neva Eva

幸せのカタチ 08
「―――― まぁ!」

 その人は柔らかな声で驚愕を示すと、慌てたように身を起こそうとした。
 って、待って待ってーっ!? 起きようとかしなくてもいいから! そのまま寝てて! 絶対的に安静が必要な人はそのまま寝ててくれた方がオレの精神にもなんぼか優しいです。安静第一!

 身を起こしきる前に慌てて枕元へと歩み寄ったオレを見て、その人はもう一度「まぁ!」と声を上げた。
 オレへと伸ばされた白い手は、ほんのちょっとだけ震えていた。

「…………本物?」

 たっぷりの沈黙を挟んで、その人は訊いた。
 …………何かそれ、リト兄にも似たようなこと言われたよね。ホントにお前か、って。その後何かよく判らない過程でもって確信まで至られちゃったけどさ。今考えてもアレは納得いきません。

「何でかみんなそれ確認するね……」
「存在が疑わしいからじゃない?」

 …………しれっとさらっとセレが言い切った。何かすんごい失礼なことを言い切られた!
 存在自体疑わしいとかどんだけだよ!? って、ちょっとコラ、何気なく隣で頷くなフィル! 同意を返すな!

「生死不明のまま年月が経って…………唐突にあの時の姿のまま帰って来た人物がいたら、普通そう訊かないか?」

 …………ごもっともです。

 真顔で言い切られたリト兄の言葉に、ちょっとカオを逸らしながら内心で同意を返した。
 すみませんごめんなさい。基本的にあんまり年月経ってること自覚してない人間でごめんなさい。てか、それはオレも訊くな! 本物かどうか確かめるな!
 …………うん、ごめんて。気の済むまで確認して貰って結構です、ええ。文句言いません。言えません。

「本物……ラズ君?」
「う、はい」

 ぎこちなく頷いたオレに、その人は白い手をゆっくりと伸ばした。
 頬から、肩へ。何かを、確かめるようにその手が辿る。

 記憶にあるよりも、細い白い手。枕元に膝を付いてるせいで、ベッドに身体を起こしたその人よりもオレの目線は低い。……寝てていい、って言ったのに、起きちゃったんだよね。
 自然、見上げる形になったオレに、その人は瞳を細めた。肩へと置かれていた手を、更に伸ばす。
 そして ――――……。

「え、ちょ、うわ!?」

 ぎゅー、と抱き締められました。
 視界が白に埋め尽くされる。彼女が着てた、服の色。

「ラズ君……!」

 涙雑じりの声が、名前を呼んだ。
 そこにある感情を、オレは無視できない。―――― 出来ないの、だけど。

「ちょ、え、待っ……ぶっ!?」

 ええ、ぎゅー、と抱き締められたんです。
 手加減なしの力で、ぎゅーっと。

 …………その細腕のどこにそんな力が!?
 何かこれもリト兄にやられたね! 締められたね! 何だこの似たもの夫婦!?
 ていうか、女の人相手に抵抗って難しいです! そして冗談抜きで結構痛い! ついでに窒息する!
 というわけで、誰か助けてください!  背後で微笑ましく見守ったり、苦笑浮かべたりしてないで!

 結論から言うと、義姉 ―――― エンジュさんは確かに家にいた。
 ええと……増えてた離れの建物あったじゃん? どうもあそこにいたらしい。アレって、一年ぐらい前に建てたものなんだって。
 で、あそこ一棟全部エンジュさんのために建てられたものらしい。普段エンジュさんはそこに引っ込んでて、あまり人前には出て来ないんだとか。

 理由は、簡単。エンジュさん、体調崩してるから。
 もともとあまり身体の丈夫なひとじゃなかったけど、一昨年ぐらいから本格的に体調崩して寝込むこととか多くなったらしい。
 以前は月のほとんどを王都で過ごすリト兄と一緒に、エンジュさんも王都の方にある家で暮らしてたんだけど、体調を崩したこともあり、何かと騒がしい王都よりは幾らか落ち着けるだろう、ってことでエンジュさんだけこっちに戻ってきたんだって。その時に療養に専念できるようにってことで、離れも建てたんだとか。
 …………ていうか、一棟ぽんと建てちゃうって…………どんだけお金持ってんの、リト兄。いや、将軍サマだから高給取りなのは知ってるけど。

 さすがにね、客人扱いだったオレ達が離れの方に行くこともなく、エンジュさんもここのところ臥せってたらしくそんな身体で挨拶に出てくるわけにもいかず ―――― 結果今の今まで会うこともなかったワケです。マル。報告終わり。
 見事なすれ違いというか…………結果だけ見ると間抜けだよね。

「離れに定期的に家人が出入りしているようだったから、誰がいるのかとは思っていたが……」
「あぁ、そうそう。最初は離れってお客さんがたくさん来た時にでも使うのかなー、って思ってたんだけど、どうもそうじゃないみたいだし。フィルと何だろうね? って話してたんだよねー」

 …………教えてよ。
 そんなこと話してたんなら、オレも雑ぜてよ。疎外感!

「ごめんなさいね。息子達から魔法使いさんのお話は聞いていたのだけれど、ご挨拶も出来なくて」

 先刻、これでもかというぐらいの力でオレを抱き潰したエンジュさんが、おっとりと微笑んで言った。
 白い面差しは、三十年分確かに齢を重ねていたけれど、それでもやっぱりエンジュさんは美人さんだった。多分、実際の年齢よりも大分若く見える。どこか少女めいた雰囲気がそのまま残ってるせいかもしれない。

 病気がちだったせいか、記憶にある彼女よりも幾分細くなったような印象を受ける。腕とか、ホントに細い。折れそうだ。…………その腕のどこにオレを抱き潰すほどの力が……。
 まさかその魔法使いさんがラズ君だとは思わなかったわ、と微笑むアナタからは想像出来ません。でも抱き潰されたのも事実です。……世の中って判らない。
 女の人の力と思って侮っちゃいけない。抵抗できない分、アレはアレで辛いものがある。

「もう一度よく顔を見せて頂戴」

 そっと白い手が伸ばされて、オレの頬へと添えられた。
 さっきは顔を見るどころじゃなかったし、と言う声。…………そうだね。オレ潰されてたもんね。顔見る状態じゃなかったよね、アレ。んでもって今さ、仕草は丁寧だったんだけど、オレの首ごきって変な音したんですけど。力技だったんですけど。…………いえ、すみません。文句は言いません。言える立場にありません。

「本当に、貴方なのね」

 瞳を細めて、彼女は笑う。

「―――― おかえりなさい」

 …………本当に、似たもの夫婦だなぁと、思った。

「ただいま、帰りました。エンジュさん」
「お義姉ちゃんて呼んでくれないの?」

 …………呼べと?
 つまり、呼べと! うううう、何か笑顔に強制されてる気がする……!

「お…………お義姉、ちゃん」

 にっこりとエンジュさんが満足そうに笑った。
 ていうか、エンジュさん。多分この絵面も微妙だと思う! 親子ほど年齢の離れた相手を義姉と呼ぶ…………何かいろんな誤解を招きそうな構図だと思うのはオレだけか。まぁ、本人が満足そうなので何も言いません。言いませんとも。

 ……て、いうかだ。うん。
 とりあえず、他に気になることがいくつかあったりするんだけれども。

「ええと…………顔色悪いけど、大丈夫ですか?」

 にこにこと笑うその人は、掛け値なしに上機嫌に見えたけど、顔色がそれに比例してなかった。
 臥せってた、って言ってたもんな。ホントならまだ寝てないといけない病人、絶対安静なのに…………何をしてるんだろう、この人。ていうかむしろオレがこんなところで何をしてるって話で。えぇと…………帰宅報告? 改めて言うと微妙だな!

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。今日はいつもより調子がいいぐらい。ラズ君に会えたんですもの。こんな嬉しいことなんて滅多にないわ」

 にっこりと笑うエンジュさんに、オレの隣に立っていたリト兄が僅かに眉を顰めた。

「大丈夫という顔色はしてないな」

 ……だよね。オレもそれ思った。
 なのに、当の本人はそう? とのほほんと首を傾げている。

「とりあえず、今日はこれでお暇しよっか?あんまり長いこと居座るのも悪いでしょー?」
「あ、うん。そうだね」

 セレの言葉に頷いて、オレはエンジュさんにまた来るね、と声を掛けた。無理しないでね、と念を押すことも忘れない。
 エンジュさんは笑って頷いた。本当に楽しそうに笑ってたけど、顔色の悪さはやっぱり変わんないまんまだった。

 記憶の中の彼女は、そんなに頑丈な方でもなかったけど、それでも健康的な頬をしたお姉さんだった。
 こんなに、白くも細くもなくて ―――― こんな、不安になる『何か』なんて、なかった。


 何かが、そこにはあった。
 覚えのある何か。ひどく感覚に引っ掛かるそれ。


 その名前を、オレは知っていると、思った。


 パタン、と閉まったドアの音に、知らずひとつ息を吐き出す。
 そのまましばらく歩いて ―――― 廊下の角を曲がったところでずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

「あぁうああ……」
「…………いきなりそういう訳の判らない行動を取るところは、本当にお前だな……」

 一番後ろを歩いていたリト兄が、急にしゃがみ込んだオレを見て一瞬焦った後、そんな不本意極まりない評価をくれた。嬉しくないよ! ていうかまた今何で納得されたの、オレ。しゃがみ込んだ後、頭を抱えながらそう思う。

「まぁ、ちょっと頭抱えたい気分だったんだよねー、ラズ」

 言いながらセレがよしよし、とオレの頭を撫でてくる。撫でるな、と言おうと思った瞬間に、もうひとつ頭を撫でる手が加わって、文句を言うタイミングを完全に逃した。

「…………大丈夫か?」

 セレとは反対側からオレの頭を撫でていたフィルが、淡々とした声でそう尋ねる。顔を上げたら、心配そうな瞳と目が合った。いや、傍目には完全な無表情に見えるんだろうけどさ。

「オレは、大丈夫。大丈夫じゃないとこも、あるけど」

 うん。そう、大丈夫。
 オレは、大丈夫。じゃないと、この先何も出来ない。

 大丈夫じゃないのは ――――……、

「ラズリィ? お前、何を言って……」
「リト兄、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

 訝しげな声を上げたリト兄を見上げて、オレは口を開いた。言葉を途中で遮られて、リト兄は少しだけまた訝しげに眉を寄せたけど、オレの言動に何か感じ取ったのか特に追究することはせずに「何だ?」とだけ訊き返した。

 訊かなきゃならないことが、ある。
 知らなければならないことが、ある。

 判ってはいても、それは随分と気の重くなるような作業で。

 ため息を吐きたい気分で、オレは代わりに問いを口にした。

「率直に訊きます。―――― リト兄って、誰かに恨まれるような覚えとか、ある?」
「山程あるな」

 直球で訊いた問いに、これまた直球で答えが返ってきた。…………今即答だったんですけど。
 いや、あの、訊いたのオレだけど、ここまですっぱりさっぱりした答えが返ってくると、何というかこう…………うん。
 リト兄が逞しくなっている、そういうことにしておこう。

「まぁ、大半は逆恨みのようなものだが」
「あー、なるほどー」

 付け加えられたリト兄の言葉に、セレがしたり顔で頷いた。

「曲がりなりにも『将軍様』だもんねー? そりゃ、知らないところでいらない反感も買ってるって話かぁ……」
「まぁ……、平たく言うとそうなりますね」

 リト兄が苦笑して頷く。
 セレのほわほわした口調で多少誤魔化された感はあるけど、今の結構どろどろした話だったよね……。

 ああ、でも、理由は確かにここにあるんだ……。
 確信と言うほどには強くない。でも、無視してしまうわけにもいかない芽が、ここで芽吹いている。

「―――― それじゃ、その恨んでる人たちの中で…………例えば、リト兄を殺そうとか、そういう行動を実際にできるだけの嫌ぁな行動力とか度胸持ってる人って、どれぐらいいる……?」
「それは、そんなには多くはないと思うが……って、まさか ――――……」

 続けられたオレの問いに、やぱり訝しげに答えてたリト兄は、けれど途中で何かに気付いて厳しい表情になった。

 ……うん。多分、考えてるソレで当たりだと思うよ。嫌な話だけど。

 近付くまで、気付かなかった。
 けれど、近付いてしまえば、その気配は明白だった。

「エンジュさんから、魔法の気配がした」

 ゆっくりと、オレはそれを口にした。

 先程、自分が感じた気配。
 神経を逆撫でするような、そんな不快な残滓がそこにはあった。


 間違いであればいいと思った、もの。


「多分あれは、―――― 『学院』が、“死の魔法”と呼ぶものだよ」

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