Neva Eva

王の名を冠する者 04
 目を閉じたその後のことは、多分フィルの方が詳しい。
 セレと合流して、その後フィルに眠れと言われて ―――― 本当にそのまま三十年眠ってたというオレだ。
 その間、“光の洞”へとオレを移動させたのもフィルだし、セレの石をハクレン爺へと預けたのもフィルだ。オレの記憶は、実に中途半端なところで途切れている。

「―――― で、目を覚ましたら“光の洞”の中にいたんだよね」

 いやもう、起きたら水の中だったんだから、そりゃびっくりしたともさ、と言ったら、ハクレン爺が目を丸くした。

「何とまぁ……よく無事だったもんじゃな、お前さん」
「うぇ?」
「水の中……ということは、お前さんの場合、目を覚ました瞬間にそのまま溺れ死ぬ確率の方が高そうじゃろうが」

 開口一番言うことがソレかハクレン爺ー!
 え、感想それ? それなの? …………反論できないのがすっごく嫌なカンジだよ畜生! だって実際、あの時自分でも死んだとか思っちゃったしね!

 んでもって、そこで「……あ」みたいなカオしてビミョーに視線を逸らしたフィル、ちょっと後で話し合おうか。

「まぁ、成程な……。ようやくこれでお前さんが儂に闇の王の石を預けていった理由が判ったわい」

 顎鬚を撫でながら、ハクレン爺が唸るような声で言った。お前さん、と言いながら視線をやったのはフィルの方で。

「“光の洞”の中には、精霊は入れんからのぅ。苦渋の決断といったところか?」
「……」

 向けられた眼差しに、フィルは無言のまま少しだけ瞳を細めた。

 それは、肯定のしるし。
 あの時 ―― “大崩壊”の終わった日。
 セレは、ギリギリのとこまで消耗してた。オレがフィルに眠れと言われたその時には、既にセレは石の中で深い眠りについてたらしい。人間でいう仮死状態と似たようなものだ。

 “光の洞”の中には、精霊は入れない。
 けど、セレは石の中で深い眠りについたまんま。使い魔が入ってる状態の“晶石”を、そのまま“光の洞”に持ち込むのは不可能だ。
 まぁ、逆に言えば使い魔が実体化して空になってる状態の“晶石”なら持ち込めるんだけど、その時のセレにそれは無理な相談というもので。傷付いて眠りについてるヤツを叩き起こすとか、それ嫌がらせのレベルも遥かに超えてるでしょーよ。当然フィルにそんなことが出来るはずもない。

 セレの石をフィルが持ってるわけにもいかず、困ったフィルは考えた末にそれをハクレン爺に預けたらしい。オレが目覚めるまで預かってくれー、ってことで。
 んで、自分の石はオレの手元に残して、フィル自身は“光の洞”に近い別の場所で眠りについた……と。……考えれば考えるほど、ややこしいことしてるな。

 いや、そもそも三十年も寝てたオレが悪いんだけどねっ? ごめんなさい! 寝起きが悪くてほんっとごめんな! ハクレン爺が生きてる間にオレが目覚めなかったら……とか、怖すぎてあんま考えたくもないです!

「えーっと……」

 オレは右耳をいじりながら、こてんと首を傾げた。

 指先に、小さな石の感触。
 フィルの“晶石”。ダイヤモンドのピアス。
 ホントはここにもうひとつ、別の感触がないといけないわけで。

 足りないものが、ある。

「―――― うん。よし、判った」

 するりと耳から手を離して、オレは立ち上がった。唐突に立ち上がったオレに、フィルとハクレン爺の視線が追ってくる。

「ラズ?」
「とりあえず、状況は判ったかな、と思って」

 インテリメガネ……もとい、えぇと名前何だっけ? ハクレン爺の弟子。…………忘れたので、インテリメガネでいっか。

「セレの石を持ってるのが、インテリメガネでーぇ? まぁ、ホントに持ってるだけっぽいけど」
「あぁ。アレは闇の王の真名を知らん。それを教えろと、あぁやって乗り込んで来よるのよ」

 あー……、やっぱそゆこと? まぁ、そうかなー、とは思ってたけど。こんな予想が当たっても嬉しくないっていうか。
 って、ハクレン爺、今インテリメガネでさらっと同意を返したね? いいんだ、それで。もしかして、密かにずっとそう思ってたとか……いやいやいや。
 まぁ、とりあえず今はそれは置いといて、だ。

「あと、あれ……セレ、無理矢理起こされてるよね?」

 続けての問いに返ったのは、無言の肯定だった。
 ……だよね。絶対アレ、普通の状態じゃなかったもん。

 セレは、インテリメガネの命に従って、オレ達に背を向けた。それは、普通であれば考えられないことだ。
 例え石を別の誰かに握られてたって、セレがオレやフィルの声に何の反応も返さない、ってのはあり得ない。

 ―――― 絶対にあり得ない、って断言できる。

 でも、実際にあり得ないはずのそれは起こった。
 それが、どういうことなのか。

 村に入る前、気配は感じるけど濁ってて追えない、って言ったフィルの言葉。
 すぐ近くにいたのに、気付けなかったセレの気配。
 多分、今のセレは意識がほとんど眠ってるまんまの状態で、あそこにいる。推測でしかないけど、眠ってたとこを……まだ本調子じゃないとこを、無理矢理起こされたんだ。無理に起こされて、半分も覚醒してないままに、石を持ってる人間の命令だけに無意識に従ってる。使い魔の本能に近い部分だけで、動いてる。

 セレの意思は、そこには介在していない。

「……思ったよりも深刻な状態なのは、判った」

 翻った、少し長めの黒い髪。
 躊躇いなく向けられた背中。

 ―― そんなものを見るために、ここに来たんじゃないよ。

 足りないものが、あるんだ。
 絶対に、譲れないもの。

「……どうするつもりじゃ?」
「セレを取り戻す」

 問う声に、きっぱりと答えを返す。

 うん、だってこれだけは最初からはっきりしてる。そのためにここに来たんだ。
 どうしたいか、なんて、問われるまでもない。どうすればいいのかは、今判った。

「だから、セレの石はちゃんと返して貰わないとね。多分あのインテリメガネ、いっぱいセレに無理させてるし」

 オレの声にも、フィルの声にも、何の反応も返さなかった背中。それが、今の状況を現してる。
 思ったよりも急がなきゃなのかもしれない、って思った。だって、これ以上無理させるわけにはいかない。

 あの日、見失ってしまったものを、オレは取り戻す。それが、一番の優先事項で、今のオレがやるべきこと。
 そこを、間違えるつもりはないんだよ。

「……そうか」

 ハクレン爺がため息を吐いた。皺の浮き出たカオに、苦笑を色濃く刻む。

「お前さんは、変わらんな」

 三十年前と、何ひとつ……と呟くように言われた言葉。
 そして。

「潔いまでに、迷いなく真っ直ぐ突き進みよる。後ろなど振り返りもせずにな」
「うぇ?」

 え、何かそれ遠まわしというかむしろ直球で猪突猛進とか言われてる気がするんだけどっ!? オレの被害妄想でなければっ!
 ていうか、変わらんて……つまり前々からそう思われてたってことで…………いやいやいやいや。今は考えない。考えないよ。 うん、だけど、落ち着いたらハクレン爺ともゆっくり話し合いたいと思います。……問い詰めたい案件が割と山のようにあるんだ馬鹿ーっ!
 フィルがオレの後ろで座ったまま小さくため息を落とした。

「それがラズの長所であり、短所だ。仕方がない」

 何かホントに仕方がなさそうなカンジの言い方されたんですけどあれちょっと?
 え、今猪突猛進ていうの肯定しなかったかお前……とか思ってたら、まぁ確かにな、とハクレン爺が頷いた。ええええええ!?

 フィルが再びため息を吐く。
 変わらないのは嬉しくもあるんだが……と前置いて、

「……本当は、もう少し迂闊な部分が治れば良かったんだがな……」

 どういう意味だ……とか、訊かない。訊かないよ。うん。
 だけど。

 フィル……、ホントにちょっと後で話し合おうか。


















 懐かしいこえを、聴いたと思った。

 遠く、遠く。靄のかかった向こう側で。
 こえ、が。


 ―――― “…………”


 はっきりとはしない。
 けれど、ひどくそれは、懐かしいものに思えて。

 ―――― 大切なものだったように、思えて。

 ぼんやりと、霞のかかる思考。周囲は、ただ暗い。闇に、覆われている。
 それを、怖いとも、嫌だとも思わないけれど。


 何かが、足りない。漠然と、そう思う。

 ……足りない。
 何か、が。


 ―――― 『誰か』、が。














   * * * * * * * *


「にーちゃん、風呂先にー……って、何やってんの?」
「いや、ちょっと……、うん……」

 自分で自分の足に引っ掛かって転びましたとか、言いたくないんで察してください。
 むしろできることなら放置推奨。

「にーちゃん、ほんとーにトロいのな……」

 しみじみとシロちゃんが呟いた。あっはっは。言い返せませんコンチクショウ。
 しかし、どうしてこのタイミングでこけるんだ、オレ。何もシロちゃんがドア開けたそのタイミングで転ばなくてもいいと思うんだよね。せめて一人の時にー……ってか、転ぶのを前提でしか語れないオレの運動神経がどうなの。ちょっと切ない。

「あたま、埃付いてるよ」
「え、どこどこ?」
「ちがう、逆 ―― こっち」

 ご丁寧にもシロちゃんは、服に付いた埃までぱんぱんと叩いてくれました。もうどっちが年下やらですよ。
 てか、ビミョーに手慣れてるね? シロちゃん。

「あー、ヒナも割とよく転ぶから」
「あぁ、ヒナちゃんね」

 あの可愛らしいお嬢ちゃんだよね。転ぶの? 何かそれは親近感が湧くんだけど、なんて思ってたら、

「あと、アイツ……セネトの馬鹿も、結構よく転んでたなー、って」
「…………はい?」

 え、いや、何か今……なかなかに衝撃的なことを聞いたよう、な……?
 セネトって、えーっと、確か……。

「…………インテリメガネ?」
「そー、それそれ。そいつ」

 インテリメガネで通じたーっ! 迷いもなく肯定されたよっ!?

 ……って、いや違う。驚くのはそこじゃなくて。
 転んでた、ってちょっと懐かしむみたいなフクザツな表情でシロちゃんが言ってて……あれ、え? マジでインテリメガネが?

「まー、アイツのは、さすがににーちゃんほど壊滅的なわけでもなかったけどなー」
「かいめつてき……」

 ひ、ひどい言われようだ……。何がひどいって、否定できる要素が一個もないオレの運動神経が一番ひどい。

「アイツが、昔じーちゃんの弟子だった、ってのは聞いた?」
「あー、うん」

 聞いた聞いた。オレ怒ってたのに、それ聞いて力抜けたもん。

「昔っから嫌味なヤツではあったんだけどさー、でも、今みたいにすんごいヤな奴ってワケでもなかったんだよなー、アイツ」
「そうなの?」
「そうだったのー。んでそいつが、足元が良く見えないのか何なのか、結構いろんなものにつまづいて転んでてさ。転んだ直後に慌てて起き上がって周囲を見回してんのとか、見てて楽しかった」
「…………」

 おれと目が合った瞬間にすんごいビミョーな顔して慌ててどっか行くのー、と朗らかに告げるその声と内容が致命的に合ってない。眩しいまでに無邪気な笑顔で言うシロちゃんに悪気はなく、それが判るだけにイタイとも言う……。
 おーい、責任者ー、この場合ハクレン爺ー! オレ、シロちゃんの将来が真剣に心配になって来たんだけどっ。

 肩を竦めたシロちゃんは、ついでのようにさらっとするっと言い切った。

「ま、どっちにしろおれはアイツ大嫌いだったんだけど」
「…………」

 うん、アレだ……。シロちゃんは間違いなくハクレン爺の孫だと思いました。今確信した。だって今の話の流れで『大嫌い』って普通にすぱっと言い切るとかどうなの。何が嫌ってそういうとこ昔のハクレン爺そっくりだよ!
 今あのじーさんは、その辺の性格が更にパワーアップしてるので、これ以上ハクレン爺には似ないで欲しいと思います。結構切実に。だってあのじーさん割と手に負えない。シロちゃんまでそんなになったら困る……、

「アイツさー、馬鹿なんだ」

 ……いや、なんかもう既に手遅れ感が漂ってるけどね?
 かつてのハクレン爺の弟子を遠慮なく馬鹿だと称したシロちゃんは、床へと視線を落としながら「しかもすんごい馬鹿」と追い討ちをかけた。し、シロちゃんシロちゃん……?

「力があれば、ぜんぶ自分の思い通りになる、って思ってる。そんなの違うって、おれでも判るのに……」

 続けられた言葉は、遠慮も何もなかったけど。

「……うん」

 小さくオレは頷いた。

 うん、そうだね。シロちゃんの言う通りだ。それは違う、ってオレも判る。
 力があっても、それだけじゃ何もならない。
 シロちゃんに判って、オレにも判って、ホントは誰にだって判るそれを、何でだか見失っちゃう人もいる。

 最初は、みんなちゃんと知ってたはずなのにね。
 知ってたはずのこと、それすらも簡単に見失う。
 失くしたものを顧みず、それが大切なものだったことさえ忘れてしまう。そういう人もいるんだってことを、知ってる。……ちょっと、悲しいことだけどね。

 インテリメガネには、判らなくなっちゃんたんだ。
 力だけあったってどうしようもないんだ、って。それは何か違う、って。
 簡単で、大切なこと。それすらも判らなくなってる。だから、シロちゃんはインテリメガネを馬鹿だと言う。―――― 間違ってないね、うん。その通りだ。

「馬鹿だから、じーちゃんが持ってた『強い力を秘めた石』持ち逃げして破門にされてんの」
「馬鹿だねぇ……」
「だよなー。自分のじゃない“晶石”手に入れてさ、それで使い魔を思い通りにしたってどうしようもないのに。……何で判んないかなぁ……」

 視線を落としたまま、シロちゃんは呟くように言った。あーあ、と再び肩を竦めて顔を上げる。

「あれ、あの石……にーちゃんのだったんだな」

 ブラックオパールのピアス、とシロちゃんが言ったそれに、オレはうんと頷いた。
 確かにそれはオレのだ。セレの“晶石”、今ここに足りないもの。

 そっか、とシロちゃんが頷いた。
 そして。

「石、返せなくてごめんな。にーちゃん」

 そのままへにゃんと眉を下げて謝る。
 あー……、ホントにいいコだね、シロちゃん。

 ……えーっと、フィルには止められてたけど、頭撫でてやりたいカンジ……い、いいかな? 今フィルいないし。……うん、いいや、やっちゃえ。オレは自分に正直に生きようと思います。

「シロちゃんが謝らなくても、大丈夫」

 ぽんぽんとシロちゃんの頭を撫でながら、オレはにっこりと笑った。

 うん、大丈夫。
 だって絶望的な状況には程遠い。

 少なくともセレはちゃんと生きてそこにいる。それが判ってる。
 だから。

「取り戻しに行くから、大丈夫」

 絶対にこれだけは、って、決めてるんだ。














「―― ラズ」

 呼びかけに、オレは顔を上げた。
 闇に紛れるようにして、フィルがそこにいた。……お前、一応光の精霊なのにな。違和感なく夜の世界にも馴染んでるね。
 そんなどうでもいいことを考えながら見上げてたら、オレの髪の毛がまだ濡れたままだということに気付いたフィルが僅かに眉を寄せた。

「風呂上がりのそんな格好で外にいると、風邪を引く」
「大丈夫大丈夫。風気持ちいーし。もうちょっとしたら戻るから」
「……大体、夜にお前ひとりで外を出歩くことからして間違いだ」
「アレ何? そこから説教が始まる?」
「反論があるなら聞くが」
「……ナイデス」

 いや、一回ぐらいはしてみたいと思うんだけどね? 反論材料が何ひとつないっていうか…………むしろ前科持ちなだけに、何も言えないっていうか。時々思うけど、オレよく生きてるよねー……?

 外のベンチに腰掛けたまま動く気配もないオレに、諦めたのかフィルは戻れと言う代わりに隣に腰を下ろした。古い木のベンチが、ギシリと軋んだ音をたてる。

「……どんなカンジ?」

 主語を抜かした問いの焦点は、今ここにいないもうひとりについて。
 膝を抱えた体勢で、オレは隣に座るフィルに視線をやった。フィルの眉間に僅かに皺が寄る。

「良くはない、な」
「あー、うん。そのカオで丸判りなカンジ」

 抱えた膝にトン、と顎を乗せてオレは苦笑する。

「やっぱり、追えない?」
「あぁ。気配が、濁りすぎている」
「……そっか。オレも呼び掛けてるんだけどさ、応えがない」

 セレ ―― セレナイト。

 名前を呼ぶ。
 声にはせず、言葉の響きだけで名前を呼ぶ。

 空気を震わせて、遠くまで聴こえるはずの、音無き声。
 本当は、それで十分なはずなのに。

 届かない、声。返らない、応え。

 予想はしてたけど、これはちょっとヘコむなぁ……。

 そうか、と相槌を打ったフィルが、オレの頭をくしゃりと撫でた。……って、慰められてどうするオレ。
 膝の上に顎を乗っけたまま、オレはひっそりと笑った。うん、大丈夫。大丈夫だよ。

「明日さ」
「?」
「明日、セレ迎えに行こう。―― 早い方がいいよね?」
「あぁ」

 フィルがもう一度オレの頭を撫でて、笑った。

 迎えに行こう。
 待っては、いられないから。

「―― よし! そうと決まれば明日は早起きだ! 今日はもう寝……」

 気合を入れて身体を起こす ―――― が、どうもオレはその気合を変な方向に入れてしまったらしい。
 立ち上がろうとして、何故か前のめりにベンチから落ちた。べしゃっと鈍い音がして、その後はひたすら静寂。……お願い誰かツッコんで。誰かっていうかフィル。訴えたいことは是非言葉でお願いします! その視線は背中に刺さって痛いので!

 膝抱えて座ってたのが悪かったのかなー……? とか、そんなことを考えながらむくりと起き上がる。
 手のひらの下に、湿った土の感触がした。これはまた……見事に泥だらけっていうか、えーっと……、

「…………寝る前に、もっかいお風呂借りてきます」
「…………そうしろ」

 ええ、ついでに服も借りてこようと思います。

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