雨の日が嫌い、ってわけじゃない。
音楽みたいな雨の音を聴くのは好きだし、雨に濡れるのも実のところそんなに嫌いじゃない。
ただ雨の日だと、どうも比較的オレの怪我が増えるっていうか、ぶっちゃけ死にやすくなるようで、それを嫌うヤツらがいたなー……ってぐらいで。
いや、うん……フツーそんな理由で雨とか嫌わないよね。普通でなくてごめんなさい。主にオレの運動神経とかその辺り。雨に罪はありません。
雨の日も好き。でも、晴れの日も当然好き。
だから、灰色の雲の切れ間から少しだけ見えた茜色に、オレは瞳を細めて笑った。
* * * * * * * *
「さーて……雨も止んだことだし、もうしばらくしたら水も引いてくと思うから、そしたら壁も元に戻してー、と」
凍ったまんまの壁がずっとあるってのはさすがに問題だよね、うん。だってコレ、氷の壁のクセにいつまでたっても溶けないし。やたら頑丈だから壊れたりもしないし。
さっきみたいな緊急事態ならともかく、通常の状態でこんなモンがあったら邪魔以外のナニモノでもないでしょーよ。というわけで、コレは後で撤去決定。
「……オイ」
「で、後はー……あ、オジサン! さっきの雨でどっか壊れたトコとかない? あったらオレ直すよ?」
「あ……あぁ、もちっと上流の橋が流されたとかどうとか……」
「げ」
橋、流れたの……。うわ、思った以上に一大事じゃん。
んで、更に聞けば家の一部が壊れたとか小屋が潰れたとか、出るわ出るわ大雨の被害。こーれは、もうすぐ収穫を迎える農作物とかも心配なところだ。
髪の毛の先からポタリと地面へと落ちた雫を何とはなし目で追いながら、オレはふむ、と声を漏らした。どうしよっかなぁ……?
「……コラ」
「んー……、じゃ、まず橋から行こうかー。んで、後は近い場所から順番に回っていくっていうのでどう?」
「それは構わねぇが……、というか、有難ぇことなんだが……」
少し考えてそう言ったオレに、オジサンは歯切れ悪く応じながらちらちらと視線をオレの背後へと投げている。何だ? と思いながらオレが振り返るよりも早く、
「聞けェェッ!?」
後ろからキレ気味な声がした。命令形なのに、何でか懇願が入ってるみたいな変な怒鳴り声。急な大声だったから、条件反射的に身体がビクンて跳ねた。
「うわ、びっくりしたびっくりしたっ!? イキナリ大声出されたらびっくりするよっ?」
「その前からずっと声掛けてただろがっ!? 気付けっ!」
「え? あー……、無理?」
「何でだよっ!?」
「えと、一応ごめんなさい」
「一応っ!?」
あまり悪いとか思ってないので、一応です。ええ。
でも意図的に無視したワケじゃないし、許してくれないかなぁ? ひとつのことに気を取られると、割と他のことがおろそかになってしまうのはオレの悪い癖。
…………ていうか、何故オレはさっきからやたらとツッコミを受けているのでしょーか。
「…………何て緊張感のない……」
ごもっともなお姉さんのツッコミは敢えて聞かなかった方向で!
相変わらず的確すぎてちょっと救いがないですお姉さん。
ぐるり、と身体ごとオレは振り返った。
視線の先には、まだ何か怒鳴ってる男の人たちと ―――― 射殺しそうな視線でオレを睨んでる執政官の姿。
それを別に怖いとは思わない。そんなものを、怖いなんて思わない。
「貴様……ッ」
「あのね、オレ決めたから。アンタの邪魔するって」
執政官の言葉を遮るようにして、オレは口を開いた。
だってもうアンタの言葉は聞いた。あれ以上聞こうとも思わない自分勝手な理由も聞いた。だから今度は自分の番だ。
「町にも町の人たちにも手は出させない。オレは、オレにできることをする。―――― そう決めた」
きっぱりとそう宣言すれば、執政官の視線が更にきつくなった。
やっぱりその視線を怖いとは思わない。……だって怒った時の視線の怖さはフィルの方がよっぽど上だ。んでもって、冷たさはセレのがだいぶ上ー……って、思い出すなオレ。記憶の中ですらこっわいんだから、アレ。
思い出すなー思い出すなー、と自分に念じつつ、もう一度執政官を見やる。
「……と言っても、アンタに関しては、オレが何かしなくても自動的にどうにかなりそうなんだけどさ」
「戯言を……っ!」
「戯言かどうかはすぐに判るよ。ねぇ、アンタ何か忘れてない? さすがにこれだけ大規模で、しかも自然を左右するような魔法使えば『学院』も動くよ?」
執政官の動きが止まった。それを見やってオレは小さく息を吐く。
―――― 自然の理を歪めること、あってはならぬと心得よ。
それは、『学院』に数ある規則の中のひとつ。
歪められた自然の理 ―――― 雨は、もう止んでる。雲の切れ間から光が射し込む。少しだけ見えた茜色の空が、鮮やかで綺麗だった。そういえば夕暮れの時間だったよね。
歪めたものが、正常に戻る。
歪めた自然の理は、人の目には“異常”と映る。
それを『学院』がどう捉えるかなんて、言わずもがなというものだ。
「『学院』はそんなに甘くはないよ? それはアンタも知ってるはずだ。あれだけ大量の水の精霊集めれば、『学院』はそれを異常と捉える。多分、そう遠くないうちに『学院』の調査団がここに来るだろうね。――――
オレが告発するまでもない」
そう、放っておいてもこの人は自滅する。
『学院』はそんなに甘くはない。少なくともオレがいた頃の『学院』はそうだった。理を犯すものに容赦はない。
てか、そのせいでオレもその昔、『学院』で査問会に掛けられたことがあるんだよね。何でもオレの魔法力っていうか特殊能力っていうか、とにかくそういうのが通常では考えられない類のものだったらしくてさ、何か人の道に外れることをしてその力を手に入れたんじゃないかって疑われて
―― んで、査問会。
結局何事もなく放免されたワケだけど、その時貰ったお言葉が「お前は理は犯さないが、常識というものをことごとく壊してくれる、存在そのものが非常識な人間らしい。お前に関しては、考えるだけ無駄だという結論に達した」という……今考えてもどういう意味だそれ、とツッコミたくなるようなものだったのはどうなんだろう。考えるだけ無駄て……。
いや、それはともかく。話が逸れた。
「『学院』の者が来れば、アンタは終わりだ。『学院』を追放された魔法使い……ライセンスも持ってないんじゃ、尚更だね」
執政官の顔が大きく歪む。それまで何かを怒鳴っていた男達が、戸惑ったように執政官へと視線を投げた。
「……ねぇ、今の話って……」
背後からお姉さんの疑問を含んだ声がする。それに顔だけで振り返って、オレはちょっと首を傾げつつ口を開いた。
えーっと……まぁ、今のを判りやすく言うと ――、
「んー……、近いうちに執政官は失脚しますよー、って話」
「「「「「「何ーっ!?」」」」」」
うわ何かまた綺麗にハモってるし!
ていうか、今絶対背後からも声聞こえたって。執政官がいる方からも。そっちの人も一緒にハモってどうすんの。
「そ、そりゃ本当か!?」
「まぁ、ほぼ確実に」
『学院』が、オレが知ってる頃の『学院』のままなら、多分間違いなくそうなるだろう。だからその辺に関しては、後は待つだけでいいと思う。
となると、今の段階でオレにできることと言えば……、
「どこまでも舐めた真似をしてくれる……!」
……こうやってヤケ起こしそうな人をどうにかすることだよねー。
低い声と共に、執政官が手にしていた杖を構えた。杖の先に集まるのは水の力。何をしようとしてるのかなんて、一目瞭然ってもんだ。
「『学院』が何だと言うのだ! 今更何も出来はせん! 『学院』が来る前にすべてを終わらせてしまえば良いだけのことよ!」
「目撃者はぜーんぶ消して、後は被害者のフリして知らん顔してようって?」
『魔法使い』なんてここにはいません、知りません、って?
問えば、馬鹿にしたような笑いが返った。でもちょっと余裕のない笑い方。それに、オレは首を傾げながら返す。
「それはちょっとどころじゃなく都合よすぎだと思うよ?」
「知ったことか! ―――― 貴様さえいなければっ!」
叩きつけるような言葉と一緒に、水の力が膨張した。ザァ……ッと目に見える形で杖の先に水が集まり、それは段々と大きな球体になってゆく。
それを見て息を呑んだのは、オレの後ろにいた町の人たちだった。
「……っ、あれ、は……!」
「あの時と同じ……っ」
その声に滲んだ恐怖を感じ取って、あぁもしかして過去に見たことのある魔法なのかな、って思った。
誰かの命を奪ったっていう、魔法。
……直接的な実力行使に出ようってワケだな。
でもまぁ、多分そう来るだろうなって思ってたから、その辺はいいや。今の段階でオレにできること、やらせてもらいましょう。
一歩だけ、前に出た。
一歩、執政官の方へ ―――― 後ろにいる人たちを、護れるように。
腕を持ち上げて風の精霊の気配を探す。今回は、目を閉じない。睨み付けてくる執政官と、真っ直ぐに目線を合わせた。
「儂に逆らったことを後悔するがいい! ―――― 水龍!」
『―――― 形成せ、結風<ユイカ>』
執政官の言葉とほぼ同時に、短縮呪文<スペル>を口にする。
ふわり、と一瞬だけ頬に風の気配を感じた後、目の前で水の塊が大きく弾けた。バシャン! と大きな音をたてて飛沫が舞う。
「うわぁっ! ……って、あれ?」
「何とも、ない……?」
「あー、はい。結界を張らせて貰ったんで。この中にいる限り、あっちの攻撃は届かないから、大丈夫」
一応大事をとって、ちょっと大きめに結界を張らせて貰いました。だから、まぁこの中にいる限りは大丈夫かな、と。
むしろ大丈夫でないのは向こうの方かなー……、と思いつつ視線を戻す。
見えない空気の膜に弾かれた水の球体は、襲ってきたそのままの勢いで執政官の方に跳ね返った。
……うん、この結界、一応防御魔法のクセにやたら攻撃的だから。受けた攻撃そのまんま跳ね返すんだよね。ご愁傷様。
「馬鹿な……っ!」
驚愕の声を執政官は上げた。驚きながらも、自分の放った魔法を即座に無効化させようとした辺りはさすがと言ってもいいかもしれない。っても、ビミョーに間に合わなくて、腰ぎんちゃく諸共頭から水かぶってたけど。
「どわぁあっ!?」
「冷てぇぇッ!?」
賑やかな悲鳴が上がった。
あー……、まぁ、水被る前から既にずぶ濡れだったワケだし、いや、うん、執政官以外はだけど。被害的にはゼロって言ってもいいような気はする。一応無効化してたから、殺傷能力も綺麗さっぱりなくなってるしね。
「儂の魔法が効かないなどと……!」
信じられない、というように執政官が呟いた。よっぽど衝撃が強かったのか、頭から水を被ったというのにそれすらも気にならない様子で呆然とオレを見ている。
「くそっ!」
「あ、ちょっと……」
懲りずに、執政官がもう一発魔法を放つ。
で、それはやっぱり同じように跳ね返って ――――……、
「うわあぁぁっ!?」
「またかぁあっ!」
やっぱり賑やかな悲鳴が上がった。
……ちょっとかわいそうかもしんない。
「くそおぉおぉっ!」
「え、もしもし……?」
まだ撃つ? 撃っちゃう?
ヤケクソのように、執政官はもう一度魔法を放った。いや、あの、だからこれ攻撃されたモン全部綺麗に跳ね返すんだってばっ!?
……で、どうなったかと言えば。
「うぎゃぁあぁあっ!?」
「勘弁してくれぇえぇっ!」
「何だっつうんだよこらぁあっっっ!?」
やっぱりというか、また賑やかな悲鳴が上がったワケで。
え、何この微妙な無限ループ。さっきも見たってば、この光景。
……うん、何かもう、さすがにかわいそうというか…………生きてます? イエ、割と本気で。
「………あのー、もしもし…?」
控えめに、オレは目の前の集団に声を掛けた。い、生きてますかー? ……って、何か既に悲鳴とか上がらなくなってきてね? 最初はあんだけ賑やかな悲鳴が上がってたのに、今じゃ悲鳴の代わりに聴こえるのが呻き声って……やばくない?
「もう嫌だあぁ~……」とか、「いっそひと思いにやってくれ~……」とか、ホンっトにやばくはないでしょーかっ!? やる、って……そのニュアンスだと間違いなくそれまずい変換がされてる気がするよ!?
この状況はさすがに心苦しいものがあるんですけどあのちょっとォっ!?
「―― このおぉぉォォッ!」
もういい加減魔法力も空っぽだろうに、執政官が再び杖を振り上げて魔法を放つ。いやあの、だからそろそろシャレになってませんがっ!? オレもあんまり他人のことは言えないけどさ、学習しようって!
ていうか、オレ怒ってたはずなのに、何でその相手の心配とかしてるんだろ? 何この変な状況。
あれ?と内心首を傾げたオレの視線の先で、ドゴォッ…!と大きな音がした。
……あ、氷の壁に大穴開いた。
執政官の放った魔法は、防御の風魔法に弾かれて今回は彼らの頭上ではなく川沿いに聳える氷の壁へと突っ込んで行った。そのまま氷の壁を突き抜けて霧散していった水の力に、オレはあー……と微妙な声を上げる。
うわぉ、綺麗に穴が開いたなー……。まぁアレは別に防御魔法ってワケでもないから頑丈って言っても限度はあるし、攻撃魔法喰らえばそりゃ穴ぐらい開くだろうけど……。
穴の向こうに見えた川は、普通の状態とはとても言い難いカンジにゴォゴォと音をたてて水が流れてたけど、さっき見た時よりも少しだけ水嵩が減ってるように見えた。
えぇと……水が多少でも引いた後で良かったと心底思います。だってこの状況で壁が壊れましたー、んで川が決壊しましたー、なんてことになったらちょっと本気でシャレになりません。いろんな意味で。
とりあえず……先に氷の壁消しとこうかな。どっちにしろ撤去する予定だったしさ。というか、ぶっちゃけこんだけ大穴開いたらあってもなくても一緒っていうか。……ハイ、つまりはそういうことです。
ひとつ小さく息を吐き出してから、ひらりと左手をひらめかせた。オレのその動作に合わせるようにして、氷の壁が音もなく消え去る。と同時に背後で上がったどよめきは、町の人たちのものだ。
「消えた…!?」
「あの馬鹿でけぇのが一瞬で!?」
「おい、チビッコ。今のもお前がやったのか?」
「あ、はい」
問われて反射的に頷いたものの……チビッコって! そこはちょっと訂正したいよ!?
そりゃね! オジサンたちに比べたらオレなんてチビッコだけどね! …………でも訂正させてください。オレもうチビッコなんて言われる年齢じゃないんですけど!
だって、生まれ年だけで言ったら、多分オジサンとそう変わらない…………アレこの事実オレにもダメージがくるな。……うん、忘れよう。
「すげぇな、坊主! ほんとに魔法使いみてぇだぞ!」
みたいっていうか魔法使いなんですけどっ!? 一応! え、ちょっとそれってどういう意味っ!?
ていうか、チビッコの次は坊主ですか。オレどんだけちっさい子の扱いされてんの。……イエ、聞きたくないんで答えてくれなくてもいいです。
町の人たちのビミョーな反応に内心ちょっと切なくなりながら、またぐるりと視線を巡らせれば、肩で息をしてる執政官と目が合った。
「っ、何故だ!? 何故儂の魔法が効かん!?」
「いや、あの、何故とか言われてもー……」
だからコレ、攻撃されたモノ全部跳ね返すんだって。逆に言うなら攻撃さえしなきゃ無害なんだけど、さっきから連発で水の魔法で攻撃してくるもんだから、向こう側で悲鳴が絶えない絶えない。……って、今別の意味で絶えそうになってる、ね?
…………。
だ、大丈夫ですかーっ!?
「何故、だ……っ! そんな防御魔法など……何度も攻撃魔法を喰らって尚も効力を発揮する結界など……っ、儂は認めん!」
「いや、認めん、とか言われても……」
何その断言。んでもって、何でオレはアンタにびしぃっ! と指とか差されてるんでしょーか。人を指差しちゃダメだってば。
そもそもの話。
この人、『学院』を追放されたんなら、あんま『魔法』とか『魔法使い』について、そう詳しいわけでもないと思うんだよね。
特に『魔法』なんて、基本の型はあるにしろ、それを元に術をどんな風に構築してどんな効果を発揮させるのかなんて、使う人次第としか言いようがない。呪文<スペル>ひとつでその効果や威力も変化するし、その辺を踏まえて新しい『魔法』も次々と構築されていっている。だから、執政官が知らない『魔法』なんて、山ほどあると思うんだけど。
特に『藍の宮』の人たちが熱心だからなー。新しい『魔法』考えたりとか、既存のものを改良しようとか、そういう研究。…………寝食忘れて研究にのめり込んで、研究室で干からびかけてたのも、そういえば『藍の宮』のヤツだったっけ。実際そういう思い出には事欠かないよな、『学院』て……。
って、話が逸れた。
うん、まぁ何が言いたいかっていうと、だ。
「認めない、って言われても、実際こういう『魔法』はあるわけだし。ていうか、認めて貰わなくても結構ですー、みたいな?」
うん、別にいいよ。認めて貰おうとか思ってないし。
ここにいるのは、厳密に言えば『魔法使い』とは呼べない人間。
アンタの『魔法』は、確かに強いのかもしれないけど、使い方を間違えてると思うから。
使い方を間違えた力は、強いけど脆い。それを知ってる。
だから。
オレは、そんなのに認めて貰わなくても構わない、って思ってる。
「いいよ、別に。オレのことは認めなくても、ありえなくても、それでいい」
まぁぶっちゃけ、そういうのはいい加減言われ慣れたというか……うん、悲しいよね、この事実。何が悲しいって、それが事実でしかない辺りがまた切なさ倍増なんだけど、とりあえずその辺は置いといて。
「でもさ、アンタのやり方が間違ってるのは、ちゃんと認めて。じゃないとダメだ」
間違ってるんだって、認めて。
力じゃ、すべては支配できない。『魔法』でも何でも、自分の持ってる力で全部が思い通りになるなんて、そんなのは傲慢でしかない。
どこかで、気付かなきゃならないんだよ。それは、違うんだって。
じゃなきゃ、いつまでもアンタはそのまんまだ。
「……黙れ」
低い声が、オレへと向けられた。怒ってるのを無理矢理抑えようとして、でもやっぱり失敗しちゃったカンジの、低い怒気を含んだ声。
執政官は、少し俯くみたいにして視線を地面へと落としていた。そのせいで、表情ははっきりとは見えない。けど、握り込んだ拳が小刻みに震えてるのが見えた。
服の裾から、ポタリと水滴が落ちて、水溜りに波紋を描く。それを何とはなし目で追いながら、オレは小さく息を吐いた。
執政官の魔法力は、見たカンジもう空っぽだ。さっきの一撃で完全に空になったんだろう。まぁ、あれだけ乱射してたらフツーはそうなるよね。
「悪いけど、黙らない」
息を吐いたついでにそう声を返しながら、もう一回左手をひらめかせる。今度は周囲を覆っていた風の結界が消えた。
けど、さっきの氷の壁と違って消えたのが目に見えて判るわけじゃないから、どよめきは起こらなかった。勘の良い人が何人か、あれっ? て声を上げたぐらい。
もう魔法攻撃喰らうことはないだろうから、消しても構わないよね? あればあったで結構危険だしコレ。何せ見えないし、でも攻撃は跳ね返すから、ウッカリとぶつかったりしたらもう目も当てられないというか……いや、まぁ今それはどうでもよくて!
「オレもさ、そんな偉そうなこと言えた義理じゃないけど、アンタのやり方が間違ってるっていうのだけは判る。―――― 『魔法』は、そんなことのためにあるんじゃないよ」
「……黙れ」
「もうすぐ、『学院』の者がここに来る。そしたら、アンタはまず間違いなく拘束されるだろうね」
『学院』は理を犯すものに容赦はしない。
自分勝手な理由で水の精霊を大量に呼び集め、自然へも影響を出した今回の件で、執政官はまず間違いなく身柄を拘束されるだろう。その先どうなるかは、オレには判んないけど。
「気付いて。ちゃんと自分で気付かなきゃダメだ。じゃないと、いつまでたっても同じことの繰り返しが起こるだけで何も変わんない」
「黙れ……っ!」
「さっきも言ったけど、黙らない」
一歩、オレは執政官の方へと近付いた。
相変わらず執政官は俯いたままで、オレへと向けられた声は怒りを含んだままで。
オレは、アンタのこと嫌いだし、アンタのしたことは許せないと思う。許すつもりもない。
多分、アンタもオレのことは嫌いだろうし、嫌いでもそれは別に構わない。
だけど、これだけは言っておきたかったし、ちゃんと聞いて欲しいとも思う。
アンタは自分のやったことの責任ぐらい負うべきだ。
―――― 自分が何をしようとしたのか、ちゃんと知るべきなんだ。
気付いて。ちゃんと、自分で。
知らなきゃいけないことがあること。
自分にできることがあるのを、知って。できないことがあるのも、知って。
そのうえで、やっちゃいけないことがあることも、アンタは知らなきゃいけない。
「黙れ黙れ黙れえぇぇっ!」
感情を一気に爆発させたように、執政官が叫んだ。
叩き付けるみたいな声を出して、顔を上げる。その顔は怒りで歪んでた。
「黙れっ! 知った口を……っ!」
そう言って、執政官が振り上げたのは、杖。向けられた先にいるのは、オレ。
魔法を放とうとしたんだろう。だけど、執政官の魔法力は既に空っぽだから、当然の如く何も起こらなかった。
本人も途中でそれに気付いたらしい。ギッ! とさっきよりも数段鋭くオレを睨み付けて、振り上げたままだったそれを勢い良く振り下ろした。
……って、え?
振り下ろし、た……?
気が付けば、ホントすぐ目の前に執政官の姿があった。
「っ、貴様さえいなければ……っ!」
「うわわわわっ!?」
あ、あ、あ、危なーっ!?
ちょ、直接攻撃は卑怯っ! それだとオレに勝ち目は万にひとつもない!
あああああ! こんなことなら結界解くんじゃなかったーっ! ……なーんて、後悔してももう遅い。
振り下ろされた杖を避けれたのは、もう奇跡に近かったと思う。オレにも反射神経らしきものは、ちょっとぐらいはあったらしい。
―― だけど。
「…………うん?」
やっぱり運動神経は当然の如くなかったらしい。
避けた拍子に、ずるぅっ、と足が滑った。視界が傾く。斜め四十五度の世界。
……あ、何かこういう光景、結構見たことがあるような気がする。……どこでだったっけ?
「きゃああぁっ!?」
「危ないっ!」
「っ、手ぇ出せ、坊主っ! ―― 掴まれっ!」
お姉さんの悲鳴が聴こえた。誰かの慌てた声も聴こえる。
手を、出せ……?
―――― 掴まれ、って……何で?
傾いた視界、オレが倒れこんだ先。
地面の代わりにあったのは、ゴォォッ……と低い唸りを上げる激流だった。
―――――― あ、れ?