Neva Eva

夜明けのうた 03
「―――― で、何でお前、昨日より生傷増えてんの?」
「…………訊かずに察して」

 会って間もない奴に無茶言うな、オイ。

「まーいいけどなー、別に。お前が夜眠れないとかで外に出て、挙句夜目が利かねぇせいなんだか不注意なんだかで、すっ転んで怪我増やしたってさ」
「……見てきたかのように正解言い当てるの止めようよ……」
「え、何? マジで?」

 適当に言っただけだってのに、それが当たり? え、マジで正解?
 えー、コレが正解だなんて、どんなオチ要員だお前。

「とりあえず……手当て、必要か?」
「え? あー、いい。いらない。これぐらいの怪我なら慣れてる、しっ……うわっ!?」
「……なるほど? つまり、慣れるほどにこーゆー類の怪我をしてるワケだな」
「…………そうとも言う」

 むしろそうとしか言わねぇだろ。
 と、ベッドから降りる際に、器用にもシーツに足を絡ませて顔面から床に落ちかけたラズの首根っこをはっしと掴みながら、しみじみとそう思った。本当、コレで今までどうやって生きてきたんだか。

「う、うー……?」

 あははー、と渇いた笑いを浮かべながらベッドの上で体勢を立て直したラズの隣にあったシーツの小山が、くぐもった声を漏らしながらもそりと動いた。白いシーツの中から零れたのは、薄桃色の巻き毛。

「あ? ナニ? お前ローズと寝てたのか?」

 ていうか寝るのか、使い魔。フツーに。

「あー、うん。話してるうちに揃って眠くなっちゃってさ。ベッド大きかったし、二人ぐらい寝れるかなー、って」
「……そーかよ」

 訊きたいのはそういうことじゃなかったんだが、へにゃっと笑うラズと、うー……と半ば寝惚けたみたいなカオで目をこするローズとをいっぺんに見たら何か言う気力もなくなった。無駄に平和な雰囲気が漂ってるような気がしなくもない。あー、いいな。お前ら二人だと犯罪色カケラも漂わなくて。
 ちょっとどこぞへ思考を飛ばしかけた俺に気付くはずもなく、ラズがあ、そうだと暢気な声を上げた。

「ええと、シエル」
「何だ?」
「とりあえず今日、手っ取り早くこのコの契約の書き換えしちゃうことにしたんで、よろしくー」
「……あ?」

 よろしくっつー前に、何がどうなってその結論なんだかを簡潔に説明してみろ? まず俺に。何よりも俺に。

「昨日、違和感覚えるって言ったじゃん?それの原因。要するにこのコ、二重契約されてるんだよね」
「あ?」

 どういうことだ? と問えば、ラズは肩を竦めて、前の主との契約がまだ生きてるってこと、と言った。

「フツーはね、前の契約を破棄するか、主と死別するなんかした後に契約の拘束力そのものが弱まるぐらいに年月が経たないと、新しく契約なんて出来ないはずなんだ」

 そこで俺は初めて魔法使いと使い魔の契約ってのが、魔法使いの死後も有効なんだということを知った。死んだらハイ終わり、ってものじゃないんだ。ふぅん……。
 普通はね、と再びラズはそう強調した。

「このコが前の主と死に別れてから、それなりに年月は流れてるけどまだ契約は生きてる。普通なら新しく契約しようとしても、まだ生きてる契約に弾かれて終わりだよ」
「……じゃ、俺がコイツと契約できたのって」
「ノリと成り行きでした変則的契約のせい」

 きっぱりとした声が言い切った。
 わー、悪気なく言い切ったよ、こいつ。いやまぁその通りだから、俺も怒るに怒れねぇけど。

「……と、あとはこのコに『真名』がなかったせい、かな」
「『真名』……?」

 またしても聞き覚えのない単語に首を傾げれば、ラズは俺にしがみ付いてまだ寝惚けたみたいに目をこすってるローズをちらりと見やって口を開いた。

「まぁ要するに精霊の個体名……人間にとっての名前のことだよ。って言っても、人間のと違って、おいそれと呼んだりしていいものじゃないけど」

 精霊の『真名』を呼べるのは、彼らが定めた主のみ。
 例え精霊同士であっても、そうそう『真名』で呼び合うことはない。
 そう、淡々とラズは説明を続けた。ていうか、呼べねぇと名前の意味がなくないか? ―― なーんて、思っちゃ駄目か。駄目なのか。

「元々はこのコにもちゃんと『真名』があったんだけど、前の主が死んだ時に一緒に『真名』も手放しちゃったんだって。んで、そうやって名無しになったところに、シエルが新しく名前を付けてそれが『真名』となり、契約となった。……ま、こんなトコかな?」

 そんな契約方法もあるんだねー、といっそ感心したともとれる口調でラズは言った。
 ……あー、何か今、さっきからラズが『普通はね』って強調しまくってた意味が判った気がする……。マジで俺とローズの契約手順て普通の真逆。

「使い魔が名を預けるんじゃなくて、新しく名前を付ける ―――― 方法がまったく違ったから、まだ生きてる契約に触れることなく、新たに契約を結べちゃったんだね。見事な二重契約の出来上がり」

 料理してんじゃねぇんだから、出来上がりて……。
 ぱっと両手を開いて再び肩を竦めたラズに、そんなことを内心でツッコんだが ―――― ちがう。問題はそこじゃねぇ。

「……で、これから何をどうするって?」

 俺が何をすりゃいいのかまったく判ってないってのがまず問題なんだ。それも最大級の。
 ラズがんー…と顎に手を当てながら口を開く。

「ぶっちゃけね、契約を破棄するだけなら簡単なんだよ。石を壊せば良い」
「何気なく力技だなおい」

 思わずツッコんだ。
 え、だってそれ特別な手法何もいらねぇじゃん。金槌でもあれば完璧だろ。

「うーわ、俺でも出来そう。その契約の破棄っての」
「うん。出来るだろうねぇ。―――― やる?」
「いーや、やんねぇ」

 きっぱりと返した俺に、ラズは満足そうに笑った。
 それにひょいと肩を竦めてみせてから、俺は傍らの小さな頭を見下ろす。薄桃色の頭のそのコドモは、今にも泣きそうなカオをしていた。

「……なーに泣きそうになってんだ、お前は」
「だ、だってぇ……っ、石、こわす、って……」

 ……いや、だからやんねぇっつってんだろ。一体どこまで先走って何を想像したんだ、コイツ。
 半ば呆れながら、薄桃色の巻き毛をぐしゃぐしゃと撫でる。柔らかな感触が手のひらに返ってきて、ふと妙な感慨に襲われた。そういや、使い魔って結局どういうイキモノなんだろ? 少なくとも感触はフツーの人間のものと何ら変わりないけど。

「こわす、ってぇ……っ」
「や、だから聞けよ人の話。やんねーよ、そんなこと」
「……ほんと?」
「ホントホント。お前が望んでないことやってどうすんだよ」

 魔法使いとか、使い魔とか。俺には判んねぇことの方が多いけど、それでもラズの言うその契約の破棄ってのを軽々しくやっちゃいけないってことぐらいはさすがに判る。だってコイツ泣きそうだし。
 再びぐしゃぐしゃとローズの頭を撫でた俺を見て、ラズが笑った。

「大丈夫そうだね。何だかんだ言って、シエルは一番大切なことは理解してるみたいだから」
「あ?」

 何の話だ?

「いやまぁとりあえずこっちの話。―――― んで続きなんだけどさ、契約を破棄するのは却下として、それならいっそのこと契約の書き換えをしちゃおうと思うわけですよ」

 俺とローズを見比べてにっこりとラズは告げた。

「契約の書き換え……?」

 そういや、最初にそんなこと言ってたな。説明の過程を綺麗にすっ飛ばしてその結論を。

「要するに“晶石”はそのままその石を使って、契約だけをシエルのものに書き換えちゃおうという……」
「そんなこと出来んのか?」
「やって出来ないことはない」
「そこで精神論を持ち出すかお前」

 なーんか、ビミョーに不安になる返答だなぁ……。
 胡乱げな表情になった俺に、へらっとした笑顔をラズは向けた。

「まー、大丈夫大丈夫。やるだけやってみて、駄目だったら他の方法を探すだけだし」

 というわけで、とラズはすっと膝を折った。俺にしがみ付いて鼻をすん、と鳴らしているローズの前。目線はちょうど、コドモのそれと同じ高さだ。
 きょとん、と瞳を瞬かせたローズに、ラズは赤い瞳を細めてふわりとした笑みを浮かべてみせた。
 ……今また天然タラシとかそんな単語が脳裏を過ぎった。昨日と同じく、またしてもそんなアホなことを考えた俺に気付くはずもなく、ラズはローズの瞳を真っ直ぐに見据えて口を開いた。

「お願いがあるんだけど……」
「おねがい……?」

 そう、と頷いたそいつの赤い瞳が思ったよりも真剣なものだったので、俺は内心で首を傾げた。
 お願い? って、一体何を頼む気なんだか。

「君の“晶石”を、オレに貸してくれる?」
「……っ」

 傍らで、ローズが息を呑んだのが判った。見開いた両目から、ただでさえでかい瞳が零れ落ちそうだ。
 ……何か驚くことがあった、ってのは判ったが、何に驚いてんのか判んねぇ、ってのは確実に致命的だよな。ていうか、“晶石”って……、

「……これか?」

 俺はピンク色の石を取り出して、目の高さで軽く振った。
 肌身離さず持っとけ、って言われたんで、とりあえず紐で首から提げれるようにして持ってたわけだが。……この石がどうしたんだって?
 ラズは見上げるようにして石を見て、うん、そうと頷いてからまたローズへと視線を戻した。

「非常識なお願いしてるのは判ってるんだけどね、契約書き換えようと思ったら、どうしてもそれが必要になっちゃうんだ」
「……どうして、も?」
「うん。ごめんね?どうしても、だよ」

 ひどく申し訳なさそうに告げるラズに、ローズは考え込むようにして押し黙った。沈黙が流れる。さっきから話の流れが俺にはさっぱりなので、同じように隣で沈黙を守った。ていうか、口挟める雰囲気じゃねぇ。
 結局……どういうことだ?

「これ……この石、貸したら何かマズイのか?」
「マズイね、最大級に。あ、“晶石”はあんまり人目に触れないようにしといた方がいいよ。貸すなんてもってのほかだからねっ!」

 きっぱりはっきりとした肯定が返って来た。
 ……うん? お前、コレ貸せっつってんじゃねぇの?

「貸せ、っつったり貸すな、っつったりワケ判んねぇっての。―――― ホラ」

 顔を顰めつつ、俺は俯いたローズの手のひらに紅水晶をぽとりと落とした。

「え……」
「お前の好きにしていいぞ。どうせ俺にはコトの重大性がよく判んねぇし。それ人に貸してマズイことになるのは、俺じゃなくてお前みたいだしな」

 だから、貸すも貸さないもお前が決めればいい。ていうか、多分俺が決めていいことでもない気がするんだよな、うん。

「お前がそれを貸してもいいと思うんなら……いや、うーん、ちょっと違うか。……あぁ、そうだ。貸しても『大丈夫』だと思えるんなら、ラズに貸してやればいい」
「ごしゅじんさま……いい、の……?」
「構わねぇだろ。お前の判断に任せるさ、俺は」

 目を真ん丸にしたローズに、俺はそう言って肩を竦めてみせた。ぶっちゃけ、アレだ。何がなんだか全っ然判ってない俺が判断する方が危険だろ。マジで。
 俺たちのやり取りを見守っていたラズが、何だかなぁ……と呟いた。

「あ?」
「シエルは考えが足りないんだか何なんだか良く判んないね。その場のノリと成り行きで物事決めてる割には、言ってることに間違いはないんだから」
「……喧嘩売ってるか?」
「売ってないし、売られても買わないよ。オレが負けるだけだから」

 あー……、あの運動神経じゃそれも納得……って、話がズレてんぞ、おい。ていうか、その男らしい間違った断言はどうだお前。
 呆れた眼差しをラズに向けた俺を見上げ、ローズは手にした石に再び視線を落としてた。じっと考え込んでる様子だったので、声を掛けずに放っておく。

 多分、そんなに長くはなかった沈黙の後、ローズが顔を上げた。何かを決めた表情だった。
 俺にしがみ付いてた手を離して、両手で“晶石”をぎゅっと握り締めて ―――― そしてそのままラズの目の前にそれを突き出した。ゆっくりとした動作で、ローズが手のひらを広げる。

「―――― いいの?」

 確認するように、ラズが訊いた。こくり、とそれにローズが躊躇いなく頷く。

「あなたなら、だいじょうぶ、って思えるから……」

 だから……と呟くようにローズは言った。
 ある意味殺し文句だな、と俺はアホなことを考えた。

「ありがとう」

 きちんと視線を合わせて、ラズはお礼の言葉を口にした。天然タラシの名を捧げたくなるような、ふわりとした微笑み付きだ。……これ、誰か言ってやらんとそのうちマズイことになるんじゃねぇの? と、俺はまたしてもアホなことを考えた。とりあえず今は確実にどうでもいいことだ。

 ローズの手のひらから、ラズの手のひらへと“晶石”が手渡される。
 紅水晶が完全に手から離れるその一瞬、ローズの肩が僅かに震えた。……あー、よくは判らねぇけど、やっぱ他の誰かに“晶石”を渡すのは『怖い』ことなんだな。
 ポンポンと宥めるようにローズの頭を撫でたら、そのまま即行で抱きつかれた。ぎゅーっと。いや、いいけどな。足に抱きつかれると歩き難いことこの上ないので、代わりに抱き上げてみた。それに合わせるようにして、ラズも立ち上がる。

「……あのね」

 腕の中から、小さな呟きみたいな声がした。ん?と思って見れば、ローズの視線はラズへと向いている。

「ローズもお願いしても……いい?」

 遠慮がちに、でもはっきりとローズが言った。

「おうた、歌ってほしいの」
「うた?」

 きょとん、とラズが聞き返す。それにまたひとつこくりと頷いてローズは先を続けた。

「あのときに、王様が歌ってたうた、もういっかい聴きたい」
「『あの時』……?」
「お空のいろが、ヘンになってたとき。歌ってた、よね?」

 そりゃいつのことだよ? ていうか王様って……?
 首を捻った俺とは裏腹に、ラズにはそれで通じてしまったらしい。何とも言えない表情になっていた。

「え、あー……、それって……」
「…………だめ?」

 ことん、と首を傾げながらローズが訊く。……コドモの武器使いまくりだな、お前。
 ラズがううっ、と呻いた。負け確定だな、こりゃ。

「……判った」
「ホントっ?」

 ぱっと顔を輝かせたローズに、ラズが苦笑を向けた。

「大事なモノ、貸してもらっちゃったし。そのお礼も兼ねて歌わせて貰いましょう。ええ」

 ……ヤケ入ってるよな、コレ。まーいいけど。歌うの俺じゃねぇし。
 全部終わってからで良い? と訊くラズに、ローズが勢いよく頷いた。何かよくは判らんが、とりあえず交換条件? は成立したらしい。まぁ、頑張れやー、とラズに声援を送ったら、他人事のように言うなー! と怒られた。
 ……あぁ、そういやそもそもは俺の問題だったんだっけ? 忘れてた。


 ところで。

 『あの時』とか、『王様』って ―――― 結局何のことだ?






   * * * * * * * *


『時は満ちた。在るべき力は、在るべき形へ ―――――― 眠れ、古き誓約の力』

 幼さを残した声が、一定のテンポで告げる。
 いや、違う ―――― 命じる。

 押さえつけるわけじゃなく、押し付けるわけでもなく。けれど絶対の強制力を持った声が先を続けた。
 ラズの手の中で、炎みたいな光がふわふわと揺れていた。

『―――― そして、ここにある、新しき誓約の力に祝福を』

 言葉 ―――― 呪文<スペル>というのだと教えられたそれが終わると同時に、光が弾けた。
 チカチカと、光は何かの名残みたいに石の周囲で数回瞬いて、そして消える。ラズが安堵したようにほっ、と息を吐き出した。

「終わりっ! うわオレすごい。ホントに何とかなった!」

 同時に聞き捨てならねぇ台詞もさらっと吐きやがった。

「『オレすごい』? 『ホントに何とかなった』……?」
「いや、まぁ、やって出来ないことはないって証明されたっていうかうんそんなカンジ」

 まだ言うか。
 思わず半眼になった俺の視線をきっぱりと無視して、ラズはローズの手のひらに“晶石”を握らせた。

「貸してくれて、ありがとう。返すね」
「……あ」

 ローズがぎゅっとその石を胸元で抱き締めるようにして握り込んだ。そのままのポーズで瞳を閉じる。
 何かを確かめるような仕草だと思ったそれは、間違っていなかったらしい。ローズは石に刻まれた契約の言葉を確かめていたのだと、後で知った。

「……ちがうんだね」

 ポツリ、とローズが呟いた。嬉しさとか、寂しさとか、そんなものがごちゃ混ぜになった声だと思った。ラズが微苦笑を唇の端に浮かべる。

「―― もう、“イルアラ”の名前はそこにはないからね」
「……うん、わかるよ。―――― ありがとう」

 はにかむようにローズは微笑った。どういたしまして、とラズが今度はふんわりと笑む。
 ある意味ほのぼのとした光景に、しかし俺は首を傾げた。

「“イルアラ”……?」

 誰だ、そりゃ。聞いたことのない名前……だよな?うん。多分。おそらく。きっと。
 俺の記憶力は、姉ちゃん曰く微妙に信用できないシロモノらしいが、それでもラズが来てからこっちの短い期間ぐらいはキチンと把握できてる ―――― と思いたい。あくまで希望形。

 “イルアラ”……知らない名前だよなぁ……?
 や、でも、どっかで聴いたことがあるような気も ――……。

「“イルアラ”は、前のごしゅじんさまの名前!」
「で、同時にこのコの前の真名がそれだったんだってさ」
「どうしてそういう重要そうな情報を今持ち出すか」

 よりにもよって一番最後に。もう全部終わったと思わせるようなこの状況で。……嫌がらせか?

「オレも今気付いた。そういや言ってなかったなー、って」
「お前過程すっ飛ばして物事進めるのやめろ、マジで」
「ごめーん」

 返って来た謝罪は軽かった。吹けば飛びそうなぐらいに軽かった。
 悪びれなく笑って首を傾げたラズは、そのままの表情で口を開いた。

「謝りついでに、もうひとつ ―――― オレ、明日ここ出発しようと思うんだけど」
















「―――― 『エルグラント王立魔法学院』?」

 明日には出発する、としれっとさらっと言い切ったラズの口から次に飛び出してきた単語を復唱しつつ、俺は盛大に首を傾げた。

「あれ、聞いたこととかない? 結構有名な機関だと思うんだけど。通称『学院』、っての」

 意外そうな表情で言うラズに、もう一度記憶をざっくりと探ってみる。
 言われてみれば確かに聞いたことがあるような……って、

「あ、あー……思い出した。アレか、『王都の名物』」

 思い出した情報をそのまま口にした瞬間、ぐしゃり、とラズがその場で潰れた。……器用だな、お前。

「お、『王都の名物』!? 何それっ?」
「違うのか? あるイミ王都の名物、『学院』。目立つ建造物に、何かと目立つ『学院』の魔法使い、王都に立ち寄った際には見物してみると面白いかも~……みたいなことがガイドブックに書いてあったような気がすんだけど」

 全部言い終える前に、ラズがもう一回ぐしゃりと潰れた。……あ、今絶対顔打ったコイツ。

「目立つ……目立つって確かにそうだけどっ悪目立ちだけど……っ! 今ぱっと考えただけで、何かと目立つ『学院』の魔法使い、二ケタ以上思い浮かんじゃったりしてるけどっ! …………名物っ!?」
「あー……よくは判んねぇけど、ガイドブックに書いてあったことはあながち間違いじゃないってことは何となく判った」

 突っ伏したままの体勢で「名物って何だ名物ってー!?」と唸ってるラズに、俺はホントに何となく真実を悟った。こりゃガイドブック間違ったこと言ってねぇな。マジで。
 ……で、だ。

「その学院がどうしたって?」

 簡潔にそう問えば、衝撃からなんとか立ち直って顔を上げたラズが「んー……」と何か言葉を探すようにして口を開いた。

「まぁ、『名物』ってのは置いとくとして。『学院』は魔法使い専門の学校で、魔法使いっていう職業の人たちのコミュニティも兼ねてるところなんだよね」
「……つまり?」
「シエルはそこに行って魔法の基礎からきっちりしっかり学んだ方が良いってこと」

 言い切った。

「魔法使いになる気がないんなら、別にそこで学ぶ必要も何もないんだけどね。シエルの場合、そうも言ってらんないし」
「コイツ、か?」

 腕の中の薄桃色の頭を顎で示してみせれば、ほんの僅かの躊躇もなくラズがうん、と頷いた。

「使い魔は、知識無き者が連れてると無用の混乱を引き起こす ―――― 魔法使いの間じゃ、そう言われてる。経験に基づいた言葉としてね」
「…………気が重くなるような話をどうもありがとよ」

 まさしく今の俺が置かれてる状況そのまんまじゃねぇか。
 自業自得。そんな言葉が脳裏を巡りかけたが、全力でそれをなかったことにした。いやいやいやいや、あくまで成り行きだから、今の状況。
 渋い表情をした俺に、ラズは笑い掛けた。

「よーく考えるといいよ。自分に必要なものは何なのか ―――― 自分にできることは、何なのか」

 考えて、答えを出せば良い、と。ラズは俺と、きょとんと瞳を瞬かせたローズに向けて笑った。
 ……何か、たまに不思議な笑い方するよな、コイツ。俺よりも年下のはずなのに、随分と年上のようにも感じる笑い方。今の表情がまさにそれだ。
 その表情のまま、ラズは子供っぽい仕草で首を傾げてみせた。

「とりあえずオレにできる助言、言っとこうか?」
「あ?」
「ええっと、『使い魔の意志を尊重し、決して物事を強制しないこと』、『自分の“晶石”を絶対に他人に渡さないこと』、『己の使い魔の“真名”を他の人間に呼ばせないこと』。うん、とりあえずこの三つ覚えとけばオッケー。強制しない、渡さない、呼ばせない ―― ハイ、復唱!」
「軽っ!?」

 何かノリが遠足行く前の注意事項みたいなカンジなんだが。いいのか、それで。

「だって難しく言っても、ワケ判んないことになるだけだし」
「そりゃまぁ、そうかもしれねぇけど」
「ていうか、何よりもまずオレが難しいこと言えない」
「それはどうだお前」

 自分でスパッと言い切る辺り、男らしいと言えなくもないがホントにそれはどうだ。
 お前の断言って、何か方向性間違えてる。そう言ってやったら、ラズは一瞬瞳を見開いた後明後日の方を向いて、

「あー……、何か久々に聞いたなー、そのテの台詞」

 すんげー棒読みで、言った。

 ……そうか、既に誰かに言われた後ってか。
 しかも複数回。
















 その、晩。
 夢現で、声を聴いた。

 最初は、誰かが何か言ってんのかと思った。もう朝だから起きろとか、そういうの。
 だけど。

(―――― あー……)

 ぼんやりと浮上してゆく意識の中で、その声にメロディーが付いてることに気が付いた。

(うた、だ。これ……)

 誰かが、歌ってる。
 高くも低くもない声。上手いと手放しで褒められたもんじゃねぇけど、耳に優しくて聴きやすい声だ。
 ……誰のものか、なんて言うまでもねぇな。

 あぁ、そういやそんなこと言ってたっけな、と思う。うたを歌って欲しいと、そう言っていたのはローズだ。律儀に守ってんだな、それ……。
 十中八九は恥ずかしかったからだろうが、わざわざこんな時間に人目を忍んで歌ってんだ、わざわざ邪魔することはないだろ、ってことで寝たフリを続行。

 うたは、途切れることなく続いている。やけに優しい歌声。緩やかなメロディー。
 呪文<スペル>を唱えていた時のような強制力はそこにはない。命じる声じゃなく、包み込むような声で紡がれるその旋律には聴き覚えがあった。
 何だっけ、と一瞬考えて、すぐに記憶の中から該当するものを発見する。

(あぁ、これ……)

 夜明けのうた、だ。

 タイトルまでは覚えてねぇけど、昔確かに聴いたことのある曲。結構有名な歌だ。
 長い長い夜が明けて、新しい朝がやって来る歌。

 そこまで思い出して、ふと内心で首を傾げる。
 何か今の……なーんか引っ掛かったような……、って……。

(……あー)

 間を置かず、原因に思い当たる。と同時に理解した。

 あぁ、コレ、ローズのための歌なのか……。

 そう理解した瞬間に、すとん、と何かが心の内に落ちてきた。
 それを何と呼べばいいのか、俺はまだ知らない。落ちてきたのは、ひと言じゃ表現しづらい感情。

 魔法使いとか、使い魔とか。やっぱり俺にはワケの判んねぇことだらけだけど。
 ローズの夜がちゃんと明けたのなら、それでいいと思った。


 夜明けのうたの優しい旋律が、夜の闇に溶けるように響いてゆく。
 それを聴きながら、俺はふたたび眠りに落ちた。






 長い長い夜が明けて。

 辿り着けた場所があるのなら、それでいい。


inserted by FC2 system