Neva Eva

夜明けのうた 02
「あら、ちょうどいいじゃない。アンタ、これからどうすればいいのか教えて貰いなさいよ。―――― というわけで魔法使い様、ウチを宿代わりに使って頂いて結構ですので、滞在期間中そこの愚弟に魔法使いの基礎知識を御教授願えます?」

 これぞまさしく鶴のひと声。

「……お姉様、一応家主に相談とかは……」
「大丈夫よ、文句は言わせないわ」
「ソウデスカ」

 父よ、反論は許されていないようです。諦めろ、っつーことだな。割といつものことだが。
 ところでその『大丈夫』は一体ドコに掛かってるんでしょーかお姉様。

「え、いやあの、オレは……」
「お願いします」
「え、いや、だから……」
「お願いします。こんな田舎町じゃ、魔法使いの方なんて他にお目に掛かれるとは思いませんし、弟にはどうしても知識が必要です。それも早急に」
「え、ええと、それは何で……?」
「何しろこの愚弟は、その場のノリと成り行きで使い魔と契約してしまった極め付きの馬鹿ですので、知識面に関してはむしろマイナスです。一般常識すらも欠如してます。大変だとは思いますが、せめて基礎の知識だけでもコレに教えて貰えませんか?」
「その場のノリ……と、成り行き……?」

 何をやったのか、と引き攣った表情のそいつの瞳が言っていた。
 何、って……なぁ?

「掃除してて見つけた石を拾い上げたら、唐突にローズが現れて? んで、名前がないって言うから“ローズ”って名前付けてみた」
「…………うわっちゃー……」
「ね、馬鹿でしょう? 普通名前まで付けませんよね?」

 よく判らない声を上げて天を仰いだそいつに、姉ちゃんが「すみません、ホント考え無しな弟で」と頭を下げていた。何気なくどころか直球でヒドイです、お姉様。
 失礼な、とは思うが、今回ばかりは俺も珍しく真剣に反省してたのでそのまま沈黙を保っておく。

「というわけで、よろしくお願いしますね。魔法使い様」
「え、あ、はい……?」

 ウッカリ頷いたが最後、姉は有無を言わせぬ笑みでもって「良かった! ありがとうございます! では、私は夕食の準備をして参りますね。また後で」と一息に言い切り、あくまでも優雅に、しかし素早く室内を後にした。
 我が姉ながら見事なもんだ。

「いや、え、あれ……?」
「とりあえず、これからしばらくよろしく、ってことだ。魔法使いサマ」
「え、あれ、そういう話なの?」
「そういう話なんだよ。―― まぁ、とりあえず俺はシエルガード。シエルでいい。さっきのは姉のアズマリア。んで、こっちがローズ」

 あろうことかあの姉は、自分の名前も名乗らずに行ってしまったので、代わりに俺が教えておく。何だかんだとあの姉にも一般常識は割とない。だって俺の血縁だ。
 名前を呼ばれた、と思ったらしく俺の腕にしがみ付いたままぱっと顔を上げたローズの頭をくしゃりと撫でる。

「んで? お前の名前は? 魔法使いサマ」
「うぅわ、その魔法使いサマっての止めて……」
「俺、お前の名前知らねぇもん。しょーがねぇじゃん」

 だから今訊いてんだろが、と言えば、あ、そか、と今更のように納得の声が返った。赤い瞳と目が合う。
 あぁ、そういやさっきコイツ、名前に懸けて誓うとかどうとかローズに言ってなかったっけ? とそんなことを思い出した瞬間、

「ラズリィ、だよ。オレの名前」
「―― ぶっ!」

 噴いた。

 何気に大層なモン懸けてたな、オイっ!?












   * * * * * * * *


 ラズリィ・ヴァリニス。

 それは、“魔術師の王”とも呼ばれる、世界最強の魔法使いの名前。





「―― というわけで父さん、今日から二人程ウチに泊めることになったからよろしくね」
「あぁ、はい、判りました。賑やかになりますね」

 …………それで済ますのか、父と姉。特に姉。いやむしろ父の方か。俺もあんま他人のことは言えんが、すんげー大雑把だな。
 夜、家に帰って来た親父と姉ちゃんの会話はそんなもんだった。予想通りすぎて何かもうどうするよこれ、ってカンジだった。別にどうもしねぇけどな。

 親父は、唐突に増えてた人員にもそんなに驚いた表情を見せなかった。むしろフツーにいらっしゃいとか言った。
 ただ、魔法使い ―――― ラズリィの顔を見てちょっとだけ瞳を瞠って、名前を聞いて何故か納得した表情になってたけど。よく判らない。フツー顔より名前の方に驚かねぇ? ていうかこの親父、ローズを見ても同じように驚いてたのがますますよく判んねぇんだけど。

「えぇと……お世話になりま、す?」

 微妙なニュアンスでラズ ―――― 妥協案でこう呼ぶことにした。魔法使いサマはやだっつうし、ラズリィだと俺が呼びづらい ―――― が深々と頭を下げた。
 アレは多分内心で首を捻ってる。何でこんなことになったのか、と。……俺も訊きてぇな、それ。

「いいえ、こちらこそ。シエルくんをよろしくお願いしますね」

 親父、俺、別に嫁に出るわけじゃねぇ。その台詞ビミョー。
 ため息を吐いた俺を、ローズがきょとんと不思議そうに見上げてきた。……あーもー、何だかなぁ。

 とりあえず姉ちゃんの提案通り、ラズはしばらくウチに滞在することになったようだ。家主の許可は今取った。
 必然的にローズも同じ扱いになってた。というか、ローズがまったくもって俺から離れようとしなかったんで、もうぶっちゃけ成り行きというか。
 ……で、「客室掃除してないのよね。だから今日はアンタの部屋に泊めて差し上げなさい?」っつーのも見事な成り行きですよねぇお姉様。……俺に拒否権がないのはもう知ってる。

「あー……、まぁ、とりあえずこっち」
「ええと、お世話掛けます」
「お互い様だろ、そんなもん。つーか、お前はお世話どころか見事に面倒ごと引っ被ってるじゃん」
「いや、まぁ、うーん……?」

 ラズが微妙な表情で視線を泳がせた。うん、否定できるモンならしてみろ?

「ええと、ホントにいいの? 部屋一緒に使っても。お兄サン……」
「シエル。名前教えただろ。呼び捨てでいい。そんな齢も変わんなさそうなのに、お兄サンとか呼ばれんのは変なカンジする」
「あー……、うん、判った」
「ごしゅじんさま、シエル……?」
「…………あぁ、も、お前は好きに呼べ」

 盛大に首を傾げたローズの頭を、ぐしゃぐしゃと撫でておく。コドモは嬉しそうに顔を緩ませた。

「ごしゅじんさま!」
「はいはいー……って、慣れてきた自分が怖ぇ……」

 ごしゅじんさま呼びに、既に違和感がねぇ。どうよ、フツーに返事ができるぞ俺。そしてやっぱ名前で俺のことを呼ぶ気はないわけだなローズ。
 我に返ってうーわーそれってどうよ、と思った俺に、ラズがあははと笑った。

「あー、まぁ、特にこう呼べ、って強要しない限り、使い魔は魔法使いのことをデフォルトで主と呼ぶんだよ。基本的に主従関係で結ばれてるからね」
「マジで?」

 うっわ、俺今好きに呼べとか言ったばっかだよ。
 え、ていうかマジで主従関係? 何つーか、俺とローズじゃ犯罪色が濃いような……いや、何でもない。俺は今何も考えなかった。そこは気付かなきゃ何の問題もない。ないったらない。
 ラズはひとつうん、と頷いて更に先を続けた。

「精霊は、信頼に足る人間に己の名を預けることで、その人の使い魔となる。だから基本的に使い魔は主以外の人間にその名を呼ばれることを極端に嫌う、ってのは覚えておいてね」
「あー、だからお前さっきからローズの名前呼ばないんだなってちょい待てや」

 へぇ、そんな裏事情が……と感心してさらっとするっと聞き流すとこだったけど、今絶対に聞き流せねぇこと言ったよな、おい。

「名を、預ける……?」
「あ、ちゃんとそこ引っ掛かったね。うん、通常の契約はそうだよ」
「俺、名前付けたぞ? コイツに」

 言いながら、俺の腰よりも下にあるローズの頭に手を置く。

 名前がない、と言われた。そう言ったコドモが何だか泣きそうだったので、それならと名前を付けてやった。
 薄桃色の髪と、その時拾い上げた石、紅水晶 ―――― ローズクォーツを引っ掛けて、命名“ローズ”。
 我ながらまんまなネーミングセンスだとは思うが、本人が喜んでたんでその辺は良しとする。

 …………付けた、よな? 俺、名前、預けて貰うんじゃなく。
 俺の答えに、ラズはうん、とまた頷いた。

「だから、『うわっちゃー……』なカンジ」

 あぁ、そういやお前、そんな訳の判んねぇ呻き方してたよな。

「シエルとそのコの契約手順、普通と逆なんだよね」
「……それって何かマズイのか?」
「や、そこまでマズイってわけじゃないんだけど……」
「ど?」
「うーん……何て言うんだろ? ……違和感? あ、コレが近いか。そのコの石とそのコ自身に、違和感覚えるんだよね」

 言いながらラズはローズへと視線を落とした。ローズがきょとんと首を傾げる。つられるようにしてラズも同じ方向へ首を傾けた。つか、何してんだお前。

「契約手順が逆なのと、何か関係あるのかな、と思って」

 ラズは首を傾げたまま、そう言った。
 違和感……ねぇ? とりあえず自信を持って言ってやろうか?

「俺が知るわきゃないだろ」

 きっぱりはっきり、ついでにあっさりと言い切ってやれば、ラズは呆れたように威張って言うことじゃないと思うけど、と言った。
 うっさいわ。









   * * * * * * * *

 最初は、こわかった。
 そのひとが、じゃなくて、そのひとのちかくにあった、気配が。大きくて、強いちからの持ち主。近寄ったら、ローズなんてあっというまに消されちゃいそうで、こわかった。

 だけど、ちょっとちがってた。触れた石のなか、その気配は眠ってた。
 感じたちからは強くて大きかったけど、それよりもあったかかった。だから、もうこわくない。

 こわくない、って言ったローズに、ありがとう、って笑ったそのひと。

 そのひとは、とてもふしぎなひと、だった。



「―――― あれ?」

 うしろから、声がした。
 振り返ったら、あかい瞳と目があった。そのひとは、目をほそめて笑う。あったかい笑いかた。

「どうしたの? 眠れない?」

 カサリ、と草をふむ音がして、そのひとが外へと一歩出てくる。眠れない、っていうのはそのとおりだったので、こくりとひとつ頷いた。

「ずうっと寝てたから、いまは眠くない」
「そっか。オレもねー、昼間寝てたせいか全然眠くなんなくってさ。散歩でもしようかと思って出て来たとこ」

 あはは、とそのひとは声をあげて笑った。……けど、あれは寝てた、って言ってもいいのかなぁ、とちょっと思う。ええと、気絶、じゃなくて……?

「ね、そっち行ってもいい?」

 訊かれて、それにこっくりと頷き返した。
 このひとはこわくないから、だいじょうぶ。たとえごしゅじんさまがそばにいなくても、不安にはならない。
 そのひとは、またありがとう、って笑って、ローズの方に近付いてきた。カサリ、カサリと草をふむ音と、虫の声。
 ……あ、そういえば。

「そこ、段差があっ……」
「へ? ―― うわっ!?」

 ずざっ、ばきっ、ゴンッ、と音がした。ものすごくいたそうな音。虫の声がいっしゅん止まった。

「……だいじょうぶ?」
「ううぅあぁ大丈夫、大丈夫じゃないの括りで言ったら、どっちかっていうと大丈夫じゃない気がする……。つか、アレだ。大丈夫でないのはオレの運動神経か」

 オレに夜道の一人歩きはハードルが高いってか、とつぶやく声。
 ??? よくわかんない。
 草のかげにかくれててわかりにくい段差につまづいてころんだそのひとは、あーあ、とためいきをついてそのままそこに座りこんだ。あたまに葉っぱくっつけてる。手をのばして髪の毛についてた葉っぱを一枚一枚とってたら、今度はくすぐったそうにありがとう、って笑ってくれた。

 何だろう。このひとのそばは、やっぱりあったかい。
 ごしゅじんさまとは全然ちがうのに、安心できる。ふしぎ。

(―――― あ……)

 触れたゆびの先に、ふわりと感じたもの。
 誰かの、感情。

「……心配、してるよ?」
「ん? ……あー、うん。そだね。ゴメンナサイ」

 さっきまでとはちがうカオで、そのひとは笑った。
 ゆびの先に触れた感情。あれは、ローズのじゃない。石の中で、眠ってる気配のもの。
 心配してるんだ、って、わかった。転んだこのひとが、ケガしてないか、って。

「相変わらず、心配性だなぁ……」
「眠ってるのに、おそとのこともわかるんだね」
「判るみたいだねぇ。何でだろ」

 そのひとはまた笑って、ゆび先でピアスを撫でた。
 石をなでながら浮かべたその表情を何てよぶのか、ローズは知らない。だけど、やさしいカオだと思った。石に触れてるゆび先も、ただやさしい。だいじょうぶだよ、って言ってるみたいなその仕草に、石のなかの気配が安心したみたいなカンジがした。

 石のなか、眠ってる気配は ―――― ひかり。
 つよい、ひかりのちから。

 最初はわかんなかったけど、ローズはこのちからを知ってる。
 ―――― ちがう。覚えてる。

「ひかりの、王様……」

 ポツリ、とつぶやいたら、え、とびっくりしたみたいな声がした。顔をあげたら、まんまるに見開いたあかい瞳と目が合った。

「眠ってるの、ひかりの王様。―――― ちがう?」
「や、違わないけど……判るんだ?」

 おどろいたように訊かれたその言葉に、こくりとひとつ頷いた。
 わかるよ。 だって前に ―――― ローズがまだ“イルアラ”だったころに、見てるもの。知ってるもの。

 わかるよ。
 “大崩壊” ……地面がぼろぼろとくずれて、たくさんの人間が死んでいったあのときに、助けてくれたちからとおなじものだもの。

「……え、ええと、ちょっと待って。待って待って。―― 頭の中整理させて」

 わかるよ、と言ったら、そのひとはあーとかうーとか言った後に、そう言ってローズの目の前に手のひらを立てた。
 ?? 何だろう?

「えぇと……うん。ちょっと待ってね、いっこずついこう、いっこずつ。――――“イルアラ”っていうのは?」
「昔の、ローズの名前」

 いまは、ちがうけど。昔は、そう呼ばれてた。ローズの名前。
 それから。

「まえの、ごしゅじんさまの、名前」

 え、と声がして、あかい瞳がローズを見た。きれいないろ。きれいな瞳。
 “イルアラ”は、きれいなあおの瞳をしてたっけ…。

「まえのごしゅじんさまとローズ、おなじ名前だったの」

 “イルアラ”  おなじ名前。
 名前を預けたローズに、まぁすごい! 同じ名前なのね! と言って笑っていたイルアラ。まえのごしゅじんさま。
 彼女も、ローズも、“イルアラ”だった。おなじだった。ふたりでひとつのイルアラ。

 ―――― だけど、ごしゅじんさまはいなくなった。
 “イルアラ”は、死んでしまった。残ったのは、ローズだけ。

 ひとりじゃ、不完全なイルアラ。ローズひとりじゃ、その名前は名乗れない。
 そう、思った。だから。

「名前は、埋めたの。ごしゅじんさまと一緒に」

 ひとりだけじゃ、イルアラにはなれないから。イルアラの名は、彼女と一緒に眠ればいいと思った。
 “イルアラ”は、もういない。名前は、イルアラと一緒に埋めた。これは、ローズひとりじゃ使えないもの。
 そうやって、眠りについた。

「あぁ……だから、か」

 ちいさな呟きと一緒に、やさしい手がローズのあたまを撫でた。

「だから、シエルに新しく名前を付けてもらったんだ?」

 問う声に、こくりとひとつ頷いた。
 会ったばかりのごしゅじんさまは、イルアラとはちがったけど、でもどこかおなじで、なつかしいカンジがしたから。一緒にいたいと思ったの。
 でも自分には預けれる名前がもうなくて、どうしよう、って思ってたら、ごしゅじんさまが名前をくれた。
 それが“契約”になるなんて、知らなかったけど。そんなのどうでもいい、って思えるぐらいに、うれしかった。―――― これで、一緒にいれると思ったの。

 “ローズ”
 それが、あたらしい名前。

「そっか……」

 そのひとは笑って、ローズのあたまをまた撫でてくれた。やさしい手。
 そういえばイルアラも、こうやってよくあたまを撫でてくれてたっけ。いまのごしゅじんさまも、おっきな手で撫でてくれる。大好き。

「あー、うん。とりあえず大体の事情が飲み込めた。コレか、違和感の原因。前の主との契約がまだ生きてるんだなー。二重契約されてる状態に近いのか……」
「? にじゅう……?」
「うん。明日、シエルと一緒の時に説明してあげるね」

 素直に頷いたら、やさしい手がまたあたまを撫でてくれた。
 石の中で、ひかりの王様が笑ってる気配がした。

 ひかりの王様。
 それから、いまはいないみたいだけど、やみの王様。

 知ってるよ。ちゃんと、覚えてる。
 だって、ローズもそこにいたもの。
 こわれてゆく大地。たくさんの悲鳴。きもちわるくなるぐらいの血のにおい。泣いてる人が、いっぱいいた。
 たくさんの魔法使いがちからを合わせても、止められなかったもの。

 “大崩壊”
 止めてくれたのは、おおきなひかりとやみのちから。

「あー……“大崩壊”、かぁ…」

 はー……っと息をはいて、そのひとは夜空を見上げた。見えるのは、降ってきそうなぐらいたくさんの星。
 あの日の空は、ヘンないろをしてた。昼なのに、夜みたいに暗かった。絵の具をぐちゃぐちゃにまぜたみたいな空のいろ。

 覚えてるよ。空のいろ、戻してくれたのは、ひかりとやみの王様。
 それから、ひとりの魔法使い。王様たちの、ごしゅじんさま。

 あのひとも、『王』と呼ばれるひとなのよ、って教えてくれたのは、イルアラだった。

「魔法使いの、王様……?」

 あなたが、そう……?

 あかい瞳を見上げて訊いたら、そのひとはいっしゅん言葉につまってた。
 ちょっとしてから、あきらめたみたいに息をはく。

「……うん。何でかなぁ、そんな風に呼ばれるようになってた」

 シエルたちには、内緒ね?

 そう言ってそのひとは、ちょっと困ったみたいに笑った。


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