Neva Eva

夜明けのうた 01
 日々割とその場のノリで生きてきた。
 難しいこと考えんのは苦手だし、厄介ゴトもごめんだ ―――― が。

 さすがに、今のこの状況はそうも言ってられないらしい。

  ……うん。ごめん、って。俺にしては珍しく真剣に反省しました。
 だから、アレだ。うん。

 そのこっわいカオ、やめてくれませんかお姉様。




   * * * * * * * *

「アンタ馬鹿ぁっ!?」
「うわ、直球。お姉様、言葉の刃がぐっさりくるんですがー?」
「こなきゃ嘘でしょ。だって心底馬鹿にして言ってるもの。あぁもう馬鹿っていうか一般常識欠如! ねぇちょっと今ここで姉弟の縁スッパリと切って良い!?」
「お、お姉様お姉様、その構えだと姉弟の縁どころか俺の未来がスッパリと切れそうです!」

 キレイに頚動脈に狙いが定まってて、こえーなんてモンじゃない。言葉の刃もアレだが、銀色に煌く本物の刃を向けられると冗談抜きでマジ怖ぇ。
 自然と手の位置は顔の横に万歳。いわゆるホールドアップの体勢。全面降伏。なので俺の未来を切り取らないでください。………なーんて思っていたら、

「ご……ごしゅじんさまをいじめないでえぇぇっ……!」

 ぱっ、と俺の目の前に小さな腕が広げられた。それと一緒に揺れた薄桃色の巻き毛と、ひらひらのスカート……って、うわ危ねっ!

「待て待て待てっ! 刃物の前に飛び出すヤツがいるかよ」
「だ、だってぇ……。ごしゅじんさま、いじめられてた、から……っ」
「いやいや、いじめられてない。いじめられてないから。スキンシップの一環だって。……多分」

 ……うん、多分。
 とりあえず、大丈夫だからと頭を撫でれば、既に涙の溜まっていた大きな瞳がますます潤んだ。あ、やべ、泣く。

「ふぇ……」
「あー、大丈夫だいじょーぶ。―― ホラ、来い」

 腕を広げれば、すぐさまそこに小さな身体が飛び込んで来た。勢いはついてたが、せいぜいが五、六歳のコドモ、しかも女のガキがやることだ。たいした衝撃も重さもない。
 しっかりと首にしがみついて嗚咽を漏らすコドモの頭を、あーよしよしとぞんざいに撫でていたら、今まさに俺の未来を切り取ろうとしていた刃物を引っ込めた姉が、深々とため息を吐きつつ言った。

「あー、もう。すっかり懐かれちゃって」
「あー……なぁ? どうよ、コレ」
「絵的に今のアンタは犯罪者か何かにしか見えないわね」
「…………」

 そんな感想は求めていません、お姉様。

 そもそもの事の起こりを思い返してみれば、思い当たるのはアレだ、大掃除だ。
 庭にある物置、いつから放置されてんだかもよく判んねぇってレベルのその中を、徹底的に掃除するわよっ! と宣言したのは我が姉だった。えそれ何の嫌がらせデスカ、と声には出さずに顔に出した俺へと向けられたのは、にっこりとした笑顔と「手伝いなさい?」という言葉だった。
 「手伝って」、じゃなく「手伝いなさい?」。疑問形なのに限りなく命令形。
 ちなみに父子家庭であるウチの最高権力者はお姉様です。父じゃなく、姉。家計を握る人は強いのだと、割と身をもって知っている。つまるところ俺に選択権はない。キレイさっぱりない。

「―――― と、考えてみると、そもそもの原因って姉ちゃんじゃね?」
「そういう可愛くない責任転嫁をするのはこの口かしら……?」
「嘘ですすみませんごめんなさい。掃除の最中に見付けたワケ判んねぇモンにウカツに触った挙句、不思議生物に名前まで付けた俺が全部悪いです」

 だから切っ先こっち向けんの止めてください。
 再びホールドアップの体勢を取った俺に、姉ちゃんはふぅ……とひとつため息をついて包丁 ―――― なんと、さっきから何度も俺の未来を脅かしてくれているのは台所にあった出刃包丁だ ―――― を引っ込めてくれた。

「そうね。ふっつーは名前まで付けないわよこの馬鹿。途中でおかしいと思いなさい」
「いやだって見た目はフツーのガキじゃんこれ」
「フツーの子供は唐突に現れたうえに宙に浮いたりはしないものだと思うわよ」
「―――― まぁ、それはさておき」

 旗色がものすんごい悪くなってきたんで、俺はついーっと視線を逸らした。逸らした先にコドモの顔があって、ばっちりと真正面から視線が合う。何が嬉しかったのか、ほにゃりとした幸せそうな笑顔を向けられたので、へらりと笑い返しておいた。―――― いかん、つられた。
 とりあえず、だ。

「どうしたもんかな……」

 腕にしがみついて来たコドモの頭をぐりぐりと撫でながらため息雑じりにそう問えば、微妙な表情でこっちを見ていた姉ちゃんは、俺とは比べものにならないぐらいの深いため息を吐いた後、言った。

「むしろ私が訊きたいわね、ソレ。どうすんのよ、アンタ。魔法使いでもないくせに使い魔と契約なんかしちゃって。責任取れるの?」

 …………あ、正論が耳にイタイ。


 魔法使い、と呼ばれる奴らがいるのは知ってる。
 そして、魔法使いはたいてい、使い魔というモノを連れてるってのも知ってる。
 だけど、俺が持ってる知識はそこまでしかない。自覚もないままに、使い魔と契約とやらをしてしまった俺としては、結構な死活問題だ。

「うーあー……、魔法使いなんざよく考えなくてもホント縁ねーじゃんよ」
「最初っから判りきってたことでしょう。こんな田舎町で魔法使いにお目に掛かることもそうそうないし」
「あー、なぁ? ぶっちゃけ、俺、魔法使いなんて『ラズリィ・ヴァリニス』ぐらいしか知らねぇよ」
「お馬鹿。“魔術師の王”の名前なんて、その辺の子供でも知ってるでしょうが」

 そりゃそうだ、と俺は頷いた。
 三十年前、“大崩壊”の危機から世界を救った魔法使いの話は、老若男女問わずに誰でも知っているぐらいに有名なものだ。こんな田舎町でも、ホントにその辺の子供が知ってるレベル。……言い換えれば、魔法使いに関する俺の知識もその辺のレベル、ってことで。

 世界最強の魔法使い。
 魔術師の王 ―――― ラズリィ・ヴァリニス。
 “大崩壊”と共に、姿を消した魔法使いの名前。

「つか、その王サマも使い魔連れてたよな? 確か」
「王の最強の使い魔 ―――― “光を司る王” フィライトと、“闇を統べる王” セレナイト、ね」
「その使い魔サマと、このガキんちょが、同じ生きモノだって?」
「…………分類的には、そうでしょ」

 返答に間が空きましたがお姉様。

 まぁ、気持ちは判るけど、とすぐ近くに見えるつむじを見下ろしながら思った。
 あろうことか俺の膝の上に陣取って、ホットミルクにふぅふぅと一生懸命息を吹きかけているこのコドモと、王の最強の使い魔とやらを同じ分類でくくるのは妙に抵抗を感じる。つーか、同じに考えていいのかどうか。
 俺の膝にいる、薄桃色の巻き毛のコドモ。見た目はホント、その辺にいるガキと何ら変わりない。
 ………これが、使い魔?

「とりあえず」

 俺と同じくビミョーな表情でコドモを見ていた姉ちゃんが口を開いた。

「アンタ、代表のとこにでも行ってみたら?」
「……あ、そか。じっちゃんになら、何か詳しい話でも聞けるかもな」

 町代表のじっちゃんは、多分町で一番の物知りだ。魔法使いとか使い魔のことも、俺や姉ちゃんよりはよっぽど詳しいだろう。
 ぽん、と手を叩いて、俺は膝に乗っかっていたコドモを脇へとどけた。コドモはぱちくりと瞳を瞬かせていたが、俺が立ち上がったのを見て慌ててカップを置くと自分もソファーから飛び降りてきた。

「ご、ごしゅじんさま、どっか行っちゃうの!?」
「あぁ、ちょっとな。お前はここで……」
「ローズも行くっ!」

 ……留守番を言い渡す前に、宣言を返されてしまった。
 とりあえず、ごしゅじんさま、ってのやめない? ……とか、そんなちょっとピントのズレたことを思ったけど口には出さない。だってこいつ多分ごしゅじんさまってのやめない。妙な確信がある。
 ついでに姉ちゃんにまで「連れて行きなさいよ。そのコ、アンタにしか懐いてないし、置いてかれても正直困るわ。私が」とダメ押しされた。正直すぎですお姉様。

 “ローズ”
 それは、俺がコドモに付けた名前。
 ウカツにそんなのを付けたから、こんなややこしい事態になったのだと言えなくもない。

 俺はため息を吐いてコドモ ―― ローズを抱き上げた。そのまま歩かせたんじゃ、コンパスに巨大な差が出る。どうせ連れてかなきゃなんねぇんだったら、こっちの方が手っ取り早い。
 玄関のドアに手を掛けた状態で、肩越しに姉ちゃんを振り返る。

「んじゃ、ちょい行って来る ――……」

 ―――― ゴンッ!

「……ごん?」

 何だ? 今の音。
 視線を前方へと戻せば、そこには今正に俺が開けかけていた玄関の扉と。

「……あ?」

 その向こう、玄関前にキレイに引っくり返った誰かの姿が見えた。








   * * * * * * * *

「えぇと、すみません。ココ、どこですか?」

 赤い瞳をぱちぱちと瞬かせて、そいつは開口一番にそう訊いた。
 珍しい瞳の色だと思った。鮮やかな、赤。宝石みてぇ……と思いながら、答えるために口を開く。

「俺の家」
「え……ええぇぇっと、何でオレはアナタの家のベッドに寝かされてたんでしょーかっ?」
「悪ィな。よく確認もせずにドア開けたら、それが見事にお前にヒットしたんだわ」

 んでお前は反動で引っくり返って頭打って気絶してた、と。うんまぁそういうことだ、と告げれば、そいつはすんげー微妙な表情になった。
 薄茶の髪と赤い瞳。俺よりもひとつふたつ下に見えるそいつは、微妙極まりない表情で「うぁー……」と呻いた。

「あー……、うん。判った。とりあえず状況は読めた。うん、大丈夫。むしろオレのが迷惑かけました。ごめんなさい」

 ……あれ、何で逆に謝られてんだ?
 ん? と首を捻った俺の服の裾を、ローズがぎゅうっと強く握り込んだ。あ? 何だ?

「どした……」
「―― あれ? 使い魔……?」

 不意に聴こえてきた呟きに、ローズの頭を撫でようとしていた手が止まった。

「……あ?」

 ちょい待て今何つった?

「え……あれ、違った? ―――― いや、違わないよね。使い魔だよね、そのコ」

 あれ? とそいつは赤い瞳を瞬かせながら、大きく首を傾げた。
 だからちょっと待て。

「使い魔、って……お前、判んの?」
「え? あ、うん。見れば割と。そのコから火の気配がするし。元は炎の精霊なんだろね」

 ……俺は見てもまったく判らなかったんだが?
 俺の問いにそいつはあっさりと頷いて、ローズをまじまじと見やった。視線を向けられたローズはといえば、慌てて俺の後ろへと隠れ込んだ。
 何かコイツ、さっきから様子がおかしい。単に人馴れしてないせいかと思ってたけど、違うよな、コレ。
 どっちかってーと……怯えてる?

「ローズ?」
「……っ、こわ、い」

 ぎゅうっと、俺の服の裾を握り締めて、ローズは言った。あぁ、やっぱ怯えてんのか。でも、何に?
 内心で首を傾げた俺とは逆に、そいつはあぁ、と何かに納得したような表情になった。うーん……と一瞬何か考えるように視線を飛ばした後、おもむろにローズを手招きする。つーか、ローズが怯えたまんま動きそうになかったので、結果的にローズをくっ付けてた俺が手招きに応じるハメになったのだが。

「えぇっと……ごめん。ちょっと手を貸して貰えるかな?」
「……っ」
「大丈夫。怖いことなんてないから。君や、君のマスターにも危害は加えないと約束するよ」

 ふわり、とそいつは笑った。
 姉ちゃんや、俺なんかには絶対にできないだろう笑い方。
 …………今一瞬、天然タラシとかそんな単語が脳裏を過ぎった。ついそんな馬鹿なことを考えてしまったぐらいのステキ笑顔で、そいつは更に先を続ける。

「誓うよ。オレの名に懸けて」
「……わかった」

 少し驚いたように瞳を見開いたローズが、やがてこっくりと頷いて、俺の腕から手を離した。

「ありがと。―― 近くに来てくれる?」

 赤い瞳を細めて微笑むそいつの笑顔は、何と言うか警戒心とかそういうモノを取っ払う効果があるらしい。戸惑いながらもそいつの言葉に素直に従って歩き始めたローズの姿に、おぉ、と内心で思い切り感嘆した。
 うわ、すげぇ。ローズが俺以外の誰かに自分から近付いてってるの初めて見た。姉ちゃん相手でさえ遠巻きだったのに。……いや、姉ちゃん相手だったから遠巻きだったのか? うん?
 ローズの手を取ったそいつは、その小さな手を包み込むようにして、自分の右頬へと当てた。―――― というか、正確には右耳の辺り。恋人同士がする仕草みたいだと、アホなことを考える。

「あ……」
「判る?」
「……うん。眠ってる、の?」
「そう。疲れて寝ちゃってるんだよ。眠りが深くて、普段は出来てる力の調整がうまくできないみたいでさ、今ちょっと石から力の余波がだだ漏れ状態。普段は他の奴らが怯えないように、完全に気配も消してるんだけどね。眠ってるから、無理みたい。……怖がらせて、ごめんな?」

 俺には何のことやら、な会話だったが、ローズはちゃんと理解したらしく首をふるふると横に振った。

「だいじょうぶ。もう、こわくない」
「そっか」

 ありがとう、とそいつは嬉しそうに笑って、ローズの手を離した。
 ……んで、結局今何してたんだ? コイツら。
 首を傾げたところで、そいつの耳元で何かがキラリと反射したのが見えた。ちょうど、さっきまで二人が手を当ててた辺り。

「……ピアス?」

 ……だよな? しかも、多分ダイヤ。文句なく高い石である他は、何の変哲もないピアスに見える ―――― と言いたいとこなんだが。
 …………何だ? 何か、ビミョーな違和感が。他とは、何かが違う気がすんだけど。
 俺の視線に気付いて、そいつは顔を上げた。

「あ、うん。これ、オレの石」
「石、って……」
「え、“晶石”。お兄サンもこのコの持ってるでしょ?」
「……え?」
「え……、って、え? あれ、持ってない? このコ、お兄サンの使い魔だよね?」
「あー多分……つか、いやちょっと待て」

 本気で待て。理解が追いつかない。

「そもそもアレだ。“晶石”ってナニ?」
「あ、それ訊く? そこから訊いちゃう?」

 思いっきり意外、って顔に書かれても、知らないもんは知らない。
 つーか、さっきからあからさまに会話が咬み合ってねぇよなコレ。

「ごしゅじんさま」

 ローズがくいくいとオレの袖を引っ張った。

「んぁ?」
「あのね、これ」

 一生懸命手を伸ばして、ローズが俺へと差し出したのは、何かすんげぇ見覚えのあるシロモノ。

「掃除の時に見付けた石じゃねぇか。お前持ってたの?」
「あのね、これあたしの“晶石”、なの」
「……は?」

 思わず俺は、石とローズをまじまじと見比べた。
 ローズの手のひらに乗っているのは、その小さな手のひらよりも更にひと回り小さいサイズの石。
 薄い桃色の紅水晶。―――― これが、“晶石”?

「……って、ちょい待て。そっちのと大分違わねぇ?」

 あっちは、ダイヤのピアス。こっちは、飾り気の欠片もない紅水晶。アレとコレが一緒のものだって?
 問えば、そいつはぱちぱちと数回瞬きをした後、あー……と視線を宙へ投げた。

「……何だろ。今ものすっごくあの時のコウさんと少年の気持ちが判る……」
「?」

 続けて呟かれた言葉は、だってあの時のオレってば相当な物知らずー、とか何とか。……何のこっちゃ。
 ワケが判らん、と首を傾げれば、複雑というか微妙なカオをしてたそいつが、気を取り直したように口を開いた。

「あー……うん。とりあえず“晶石”っていうのは、魔法使いが使い魔と契約する時に必要となる石の総称のことだから、種類は何でもいいんだよ。宝石でも、硝子玉でも、石と呼べるものなら何だって」
「…………ちょい待て」

 説明に、本日何度目かの待ったをかけた。

「『使い魔と契約する時に必要となる石』……?」

 今、そう言ったか?
 今回の俺みたいにイレギュラーな場合はさて置き。通常、使い魔ってのは、魔法使いが連れてるものだ。
 んでもって、“晶石”っていうのが、使い魔と契約する時に必要となる石、で……?

 ……っつーことは、何か?

「―――― お前、魔法使い?」
「……うん、一応。……多分?」

 俺の問いに、そいつは何故か明後日の方を見ながら、肯定らしきものを返した。


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