Neva Eva

やさしいこえ 03
 夢を、見た。
 うん、多分夢。というか、記憶?

 ―――― 前、前。とりあえずラズは、ちゃんと前見てなさい。ホラ、余所見はしないのー。

 誰かの声。

 ―――― ……前だけ見ても、危ないんじゃないか?

 誰かの、声。

 ―――― でもラズの場合、前見てないと確実に危ないでしょー? …………あ。


 ずざざざざざー……っ……ゴン!


 ―――― って今、思いっきり斜面滑り落ちてったんだけど、あの子。
 ―――― ……いい音が、してたな。
 ―――― 無事かなー? ……あ、無事だ。
 ―――― 前じゃなくて、足元を見ながら歩かせた方が良かったか……?


 聞こえてくる、誰かの声。


 …………っていうか、何やってんだ。オレ。






   * * * * * * * *

「……いっそもうこりゃ記録的だな」

 呆れたというよりは感心したような声が、逆に心にぐっさりと痛いデス。
 そして切った頬も地味にぴりぴりと痛いデス。

 ええと、現在の状況。
 街中で派手に素っ転びました。
 しかも転んで突っ込んでった先が廃材置き場だったが故に切り傷までこさえました。コレが地味に痛くて素で泣けてきます。

「記録的て……そんな記録はごめんこうむりますー」
「や、でもお前な、歩いてて転ぶのは日常茶飯事、木にぶつかる人にぶつかる建物にぶつかる、池に落ちたのも二回あるだろ? 階段落ちもしょっちゅうだし、他にも滑るわ落ちるわ……」
「ごめん何ていうかそうつらつらと並べたてられるとさすがにオレもヘコむんですが。マジで」
「どうなってんだ、お前の運動神経」
「……ぶっち切れてるカンジ?」

 ……あ、自分で言ってて悲しくなってきた。
 でもホント、確実にどっかでぶち切れてるよね、オレの運動神経。繋がってないカンジするよね! ……泣ける。

「コレで今までよく生きてたよなぁ、お前」
「しみじみと不思議そうに言わないそこ」
「いやー……」
「心底不思議なものを見る目でオレを見ないで!?」

 さすがにね、オレも自分でどうかとは思うんだ、うん。
 でもね、他人に指摘されるとヘコむよね。マジで。

「つか、前ぐらいちゃんと見て歩け。人はともかく、何で止まってる木や建物にぶつかる?」
「……オレの運動神経が切れてるからだよ」
「……ただの不注意だろうが」
「それもある」
「あるのかよ」
「あるけど、前をちゃんと見て歩いてたら歩いてたで、今度は足元の何かに躓くとか段差踏み外すとかっていうのを素でやるのがオレなんです」

 実際、コウさんと会ってからもやったぞ、それ。一度と言わず、二度三度。

「…………切れてるな」
「切れてるよね」

 オレに運動神経はない。清々しいぐらいにない。きっぱりはっきりとない。
 オレから視線を外して遠くを見やりながら、コウさんがポツリと呟いた言葉をオレは敢えて力強く肯定する。だってどうせ否定したくてもできないし。無理だし。否定した方が何かむなしいし。

 ふっ、とオレもコウさんと同じように遠い空へと視線を投げた時、ふと今朝見た夢を思い出した。
 夢、っていうか、多分記憶。
 誰かの声に心配されながら、オレはさっき自分で言ったようなことを成し遂げていたような気がする。前を見ろと言われ、その忠告に従い前を向いて歩いてたら道を踏み外して斜面を滑り落ちていたという……ちょっとオレ何やってんの、という記憶だ。

 考えるまでもなく、これは過去の記憶だよなー……と思えてしまうのがちょっとアレだ。オレの運動神経がぶっち切れてるのが元からだっていうのが判っても、嬉しくも何ともないんだけど。むしろ声の主が誰なのかを知りたかったカンジ。
 夢に文句言ってもしょうがないんだけどさー。むしろどっかで落っことした記憶が、夢という形ででも少しずつ戻ってくるのなら有り難いとでも思うべきなんだろうけど。…………もっと何かこう……他に思い出すことはなかったのか、とか思ってしまうのは仕方ないよな。うん。

「―――― とりあえず、怪我を治せ。目立つ」

 不意に、ふわりと空気が動いた。呆れたような声がする。見ると、いつの間にか目の前に使い魔の少年がいて、ものすごーく不機嫌なカオをしながら、オレの頬に小さな手で触れてきた。一瞬、頬の傷がものすごく熱くなったと思った瞬間に、少年が不機嫌なカオをしたまま手を離す。

「何だ? 珍しいな、エルシュ」

 コウさんがからかうように声をかけた。

「お前にしちゃ随分サービスが良いじゃないか。人里で姿現してケガまで治してやるなんて」

 へ? と思って今まで少年が手を当てていた場所 ―――― 傷があったはずのそこを撫でてみれば、つるりとした皮膚の感触。あ、ホントだ。治ってる。
 思わずまじまじと少年を見やれば、相変わらずの不機嫌顔…………ん? というか、これは……。

「別に……。ちょっと、気になった、だけ……」

 え? 照れてる? もしかして。ボソボソ呟くように言って、そっぽを向くその様子が何というか可愛いんですけどっ。
 可愛いなー、と思ったら手が勝手に動いた。目の前にある少年の頭をぽふぽふと撫でたら、ちょっとびっくりしたみたいに顔を上げられる。頬がほんのちょっと赤くて……あ、ホントに照れてるカンジ。てか可愛いんですけど。マジで。

「何……」
「ありがと」

 嬉しかったので、にこぉ、と笑いながら礼を言ったら、何故だか固まられた。……あれ?

「お前、ホント、何……」
「え、いや、だってケガ治してくれたんだよね? だから、ありがと」

 こういう時のお礼は基本です。ていうか、髪の毛触り心地がいいね、少年。ふわふわだ。
 なでなでとなで続けていたら、少年から長ーいため息が吐き出された。あれ何その反応。ん? と首を傾げたところで、今度はコウさんの声が割って入る。

「こらそこ。人の使い魔たらし込むな」
「いやちょっと待って。待って待って。その言い回しどうなの。ねぇどうなの」

 何そのツッコミ所満載な台詞! たらしてない、たらしてないよ!? 人聞き悪すぎる!
 必死で抗議するものの、コウさんはいやだってなぁ……と意味ありげな視線を寄越すだけで取り合ってくれない。……何なのさ。

「エルシュ。気をしっかり持て。たらされるなよ」
「…………マスター。その言い方は、どうかと思う」
「事実だろ。で? どうなんだ?」
「………………あまり自信がない」
「ほほぅ?」
「何せ天然、だから……」
「天然タラシか。タチ悪いな、そりゃ」

 ねぇちょっと何の話ですかそこ。
 何のことだか良く判らないけど、どうも自分のことを話題にされてるうえに、どうにも不名誉なことを言われてるような気がしてならないんですが気のせいですかちょっと。

「ちょっとコウさん……」
「ああうん、お前には何言っても無駄っぽいからもういいわ」

 問い詰めようとしたら、会話を投げられました。試合放棄。どうなの、それ。
 心底納得いかないものの、これ以上問い詰めても無駄なのはコウさんの態度を見て判った。少年の方も右に同じ。てか、オレの顔見て深々ため息吐くの止めてくれませんか。え、オレが何したっての。

「とりあえず、今日はここで一泊かね」

 トン、と手にしたロッドで肩を叩きながら、コウさんが言った。
 西の空はもうオレンジ色に染まりきっていて、もうすぐ太陽が山裾に隠れそうだった。今からここを移動すれば次の街に辿り着く前に陽が完全に落ちるだろうし、夜に移動するのは危険だとなれば、確かに今日はここで一泊するのが妥当だとは思うけど。

「喜べ。今日は屋根のあるとこで寝られるぞ」
「や、それは嬉しいんだけど。いいの? オレの分の宿代とか……」
「ちっこいヤツがそんなこと気にすんな」

 ちっこいって……! そりぁ確かにちっちゃいけどね!? コウさんに比べればちびっこですけど!?
 わしわしと頭をやや乱暴に撫でられて抗議の声を上げた。
 いやまぁ、何ていうか有難いんだけどさ。だってオレぶっちゃけ一文無しだし。そこまで好意に甘えてもいいのかなー、とか思ったワケだけど気にすんなって一蹴だし。……うん。こういうとこは、素直に有難いと思う。

「エルシュは? どうする?」
「……戻る。無駄に宿代を使う必要も、ない」

 意外に経済観念がしっかりしてるね、少年。
 あっさりとそう言った少年が、再び姿を消そうとした、その時。

「―――― あの……」

 躊躇いがちな、声がした。
 ん?  えと、今の声、誰?? 明らかに、知らない人の声だった。
 振り返ればそこにいたのは知らないオジサン。えーと、多分年齢的には40歳前後……ぐらい? 背はちょうどオレとコウさんの間ぐらいで、きちんとした身形をしてる。筋肉なんてカケラも付いてない身体つきのせいか、やけにひょろっとしてる印象のオジサンは、向けられた視線に一瞬怯んだように顎を引いた。

「何だ?」

 コウさんコウさん。ちょっとちょっと。
 他意はないんだろうけど、何かそれ威嚇してるみたいだよ。目つき悪いし、声低音だし。あ、オジサンちょっと引いた。

「えーっと……オジサン、何か用……でしょーか?」

 見かねて、口を挟む。だってオジサン困ってるし。あー、大丈夫。このオニイサン怖くないですよー? 案外いい人ですよー?
 オジサンはちょっとほっとしたみたいにオレを見て頷いた。

「ええ」
「ふぅん。オレ、じゃなくて、コウさんに用事なんでしょ?」

 最初っから、オジサンの視線はコウさんに向いてた。正確には、コウさんと、少年に。オレでなくても用ってのはあっちにあるんだな、って気付くよ。それは。

「……ええ」

 オレの問いに少し間を置いて頷いたオジサンは、再び視線をコウさんたちへと向けた。

「―――― 『学院』の、魔法使い様……ですよね?」

 続けられた台詞に、コウさんの眉根が寄る。……いやだから、威嚇してるって、それ。……っていうか、ん……?  
 『学院』?
 ……って、アレだよな。オレの当面の目的地。エルグラント王立魔法学院だっけ? 学びの場でもあり、また魔法使いという職業の人たちのコミュニティも兼ねてるってトコだったと思うんだけど……。『学院』の、魔法使い様、っていうのは……?

 ……………………。
 ……だ、駄目だ。マジで判んない。
 だって教えて貰ってないもん。今のオレ、一般常識とかまるっと抜け落ちてるもん。『学院』が、随分と有名な機関だってこともついこの前知ったばっかだよ。自分の名前がほんっとーに規格外だっていう自覚も、ようやく最近生まれてきたトコだよ!
 多分オレよりもそこら辺にいる子供の方がよっぽど物知ってると思う! ……泣けるけど、事実。

 ひとりちょっと黄昏モードに入ったオレを余所に、コウさんは尚も訝しげに眉を寄せていたけど、オジサンの服の肩口辺りに縫い付けてあったエンブレムを見やって不意にあぁと呟いた。

「連絡役か、アンタ」
「はい」

 頷くオジサンに、首を傾げるオレ。

「『連絡役』……?」
「……『学院』に持ち込まれる依頼を、所属魔法使いへと伝える役目を負った者、のことだ」

 はぁっとため息を付きながらも、少年が端的に説明してくれた。
 オレが判んない単語にぶちあたって首を傾げる度に、こうやって少年が解説を入れてくれる。ていうか、ぶっちゃけオレ判らないことだらけだから、軽く少年はオレ専用の辞書と化してるような気がしなくもない。あっはっは。もう笑っとこう。
 ついでに『学院』に登録してるだけじゃなくて、きっちりと籍まで置いてる魔法使いのことを “『学院』の魔法使い” って俗称で呼ぶことが多い、とも教えてくれた。あははー、ありがと。そこも判んない、って思ってたのしっかりバレてるね!

 ふむ。とりあえず、コウさんが『学院』の魔法使いで、オジサンが連絡役、と。
 んで? 結局のとこ、用向きは何なんだろ?

「申し遅れました。私、連絡役のハディスと申します」
「……学院“白の宮”所属、コウ・セルテスだ」
「“しろのみや”……」
「…………学院内にある、派閥のひとつだとでも、思えばいい」

 何だそりゃ、と小さくその単語を呟けば、もはや何を言う気も失せたのか微妙な沈黙の後、少年がそんな解説を入れてくれた。あはははは。ホントにもうすみません。んでもって、ありがとう。
 ていうかコウさん、そんな肩書きみたいなのがきっちりあったんだね。

「貴方が……。一方的にではありますが、存じ上げております」

 ……しかも微妙に有名人ですか? 存じ上げられちゃってるんですか。

「無駄話はいい。で、何用だ?」
「『緊急召集』です」
「『緊急召集』……? おい、そりゃどういうことだ」

 コウさんが訝しげな声を上げた。オレには何に驚いてるのかさっぱりだけど、何か変なことを連絡役のオジサン……ええと、ハディス、さん……? は言ったらしい。オレの隣で少年も微妙な表情をしている。
 コウさんが器用に片眉を上げながら口を開いた。

「何かあったってのか?」
「……ええ」

 オジサンは頷いた。
 何でもないことのように、頷いた。

「学院の魔法使い、手の空いている者は皆ラシャートへ向かうよう、学院総代の仰せです」
「あァ!?」

 コウさんが素っ頓狂な声を上げた。珍しい……っていうか、初めて聞いた。
 学院総代……よくは判らないけど、多分偉い人なんだろうなー、っていう響き。要はその人が、学院の魔法使いで暇なヤツはラシャートに行け、って言ったってことだろ?
 ……ん? ていうか、ラシャートって……、

「この前までオレ達がいた村がラシャートじゃなかったっけ?」

 軽く首を傾げながらそう言えば、躊躇いがちに少年の首が縦に振られた。肯定のしるし。
 ハディスさんも、ええ、この街が一番ラシャートからは近いでしょうね、と言い添えた。
 ……うん、それはいい。

「きんきゅうしょうしゅー、って何……?」
「お前が言うと、全部ひらがなに聴こえるな……。緊張感がねぇぞ」
「すみませんね。とりあえず、オレに緊張感を求めるところからして間違ってるけど」
「自分で言い切るのもどうだお前」
「……マスター、話がずれている」

 見かねたらしい少年がツッコんだ。もっともな指摘に、一瞬間を置いてコウさんが唸る。

「あー……、つかもう、何かどうでもよくなってきた。これもある種才能だな、お前」

 人の気を削ぐ天才だぞ、とため息と共に言われた。失礼な。オレにそんな気はさらさらないし、それは本当に才能でカウントしていいやつなの?

「マスター。それでも、どうでも良くは、ない」

 少年が、微妙に固い声で言った。どうでも良くはない、むしろ結構重大事態なのだと、その表情から読み取れた。
 まぁな、とコウさんが嘆息雑じりに頷いた。

「『緊急召集』なんてモンが掛かったことなんざ、学院の歴史上でもそうそうないからな」
「えっ!?」
「ええ。私も長く連絡役を勤めてはおりますが、初めてのことです」
「えぇっ!?」

 そ、そんな重大事だったの!? うわぉ、そんな事とは露知らず、今まで一人雰囲気の読めない子になってましたねオレ。もしかしなくても。
 ようやく事の重大性を理解したオレに、コウさんと少年の視線が突き刺さる。……いや、ゴメンて。

「何が起こった?」
「詳しくは私も聞かされておりません。ただ、『異変』が起きた、と。たまたまそこにいた“藍の宮”の魔法使いがそう伝えてきました。ラシャートに先遣隊が派遣されておりますゆえ、詳しい話はそちらで」
「……承知した」

 コウさんが短く了承の意を伝えた。
 ううむ、コレはコウさんたちはラシャートに引き返す、ってことだよな。
 それじゃ、オレはどうしよう……? もともとコウさんの好意に甘える形でここまで来たワケだし、さすがにその緊急召集とやらを掛けられた人たちに付いてくワケにもいかないよね。ていうか、そういうのって部外者には遠慮願いたいモンだろうし。

 んー、これはひとりで学院を目指した方がいいのかなー、とは思ったけど、オレひとりでナニゴトもなくそこにたどり着けるかってのは限りなく疑問だそれ。オレは割と自分というものを知っている。
 それにその緊急召集を掛けたのは学院総代とやらで、多分偉い人。そういう人が率先して命令を下してるような今の状況の学院をほけほけと訪ねても、即座に相手はしてもらえない気がする。
 ……さて、本気でどうしよう?
 首を傾げたオレに気付いた様子もなく、ハディスさんが更に言葉を続けた。

「―――― 『異変』が起きたのは、ラシャートに程近い山中……ちょうど、ローゼット山脈の国境沿いの山裾の辺りだと聞いております」

 どうぞお気を付けて、と言ったハディスさんの言葉を、オレは半分ぐらい聞いてなかった。
 本気で思考が半分ぐらい停止した。見ればコウさんも少年も微妙に表情が固まっている。多分、オレも似たような表情をしてるんじゃないかと思った。

 ローゼット山脈の山裾。
 しかも国境沿い。

 それはオレの中で、随分と新しい記憶。
 ついこの前、その地名を教えて貰ったばっかりだ。

「…………コウさん」
「…………何だ?」
「気のせいだったらものすごーく嬉しいなー、とか思うんだけど……」
「奇遇だな。俺もそう思う」
「……思うだけですか。ってことは大当たりってことですね。わーお」

 茶化すように言った。それ以外にどうしようもなかった。

 ローゼット山脈の山裾。しかも国境沿い……の山中。

 それは、オレが一番始めに目を覚ました場所と、ぴたりと一致していた。


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